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ヨット

1953年<夜のヨット>という題の父の作品が何のコンテストだったのでしょうか、賞をとったことがありました。
その為に興味深いデータが残っていました。
キャノン:セレナf/1.8 絞りF3.5 露出1/25 フイルム:ネオパンSS 
現像液:ハイドラム 現像時間:60分 印画紙:吉野2号 現像液:D-72 
フイルム現像に1時間かけたということです。通常は10分前後ですからヨットの画像を出すのにかなり長時間かけたことになりますね。
1953年 夜のヨット
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昨日友人の訃報が余りに静かに届き、自分の身の処し方に困りました。
彼女は湘南育ちで、ヨットの操縦もスクールで学んだりしていました。
1964年、私はその姿を撮影に行ったことがあります。
海は丁度無風で、御本人は苦笑いしながらモデル役を務めてくれました。
今この友人の写真を眺めながら、”灯篭流し”のような父の<夜のヨット>の写真画像が重なったり滲んだりして見えてくるのです。
1964年逗子にて
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1953年頃ヨット・風
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# by michinobe8 | 2013-07-17 11:15 | 父の撮った写真 | Comments(2)

カキ氷屋さん

暑い日のかき氷は好い景色です。それも、よしずの中で食べてみたい!
よしずの中のカキ氷屋さんは氷を何処で買って来るのでしょう。
氷屋さんに決まっているのですけれど、一般家庭では電気冷蔵庫で氷を作りますからね( ゚Д゚)
昔のように氷屋さんがリヤカーで氷を運んできて、のこぎりでシュシュと切ってくれたのを冷蔵庫に納めるのなら心配しないのです。
路上のお店ですと、アイスボックスでは足らなくなった時に〈氷はすぐに解けるでしょ。〉又買いに行かねばなりません。
2000年夏浅草で氷屋さんが昔ながらにリヤカーで運んでいるのを目撃した時には感動しました。
あれから13年経ちました。矢張りカキ氷のことは心配です。
2011年浅草
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4 2000年浅草
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# by michinobe8 | 2013-07-14 08:07 | 平成・デジタルカメラ | Comments(1)

夏の思い出・・メチャロール

連日の猛暑にぐったりしながら、この写真を見て思わず吹き出しました。
1949年千葉県の鵜原海岸で父の撮った写真<メチャロール>です。
父の造語で浮き輪をしながら滅茶苦茶に泳いでいるということでしょうか。
今の子供たちはスイミングスクールに通う子が多く、このような泳ぎ方はしないでしょうね。

でも、メチャロールの子供たちも2年後くらいには、この鵜原海岸で1km~3㎞の遠泳を泳ぎきるようになったのですよ。
これはたまたま子供たちの通った小学校の水泳教育の賜物だったわけなのですが。
つまり、学校教育だけでも、このくらいは泳げるようになるというお話なのです。
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1983年・千葉県坂田海岸です。
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メチャロールをやっていた子供たちもお父さんお母さんになり・・その子供たちがいとこ同士で海水浴に行き・・
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夕方の海岸を散歩しています。
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遠く館山海岸の花火がみえます。
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# by michinobe8 | 2013-07-10 21:41 | 父の撮った写真 | Comments(6)

隅田川光景・・白髭防災団地

先日新しく隅田川に掛かった千住汐入大橋から<白髭団地>を初めて眺めました。
高さ約40m、全18棟が横に約1km並ぶ都内唯一の防災団地なのです。
思わず「凄いなぁ!」と声に出してしまいました。

隅田川は大都会のなかを流れる川です。
遠い昔からこの川はどのような事柄の数々を眺めながら流れてきたことでしょう。
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古くからある造船所
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私は今年の春先に隅田川でも河口に近いところ、永代橋にも行ってみました。
永代橋は江戸時代見晴らしの良い場所であったと記録に<西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総・・「武江図説」>あるそうです。
けれども橋の上からは富士も筑波も見えませんでした。
でも、そこには高層ビル群が水の上に浮かぶように建ち並び、妙に感動しました。
大都会の、人間が作った美しさです。
東日本大震災の後、改めて大自然の猛威をそれから人災を、見せつけられている日々です。
大自然と人間の挑戦がバランスよく調和して行くことを・・願わずにはいられません。
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隅田川に流れ込む支流・大横川に掛かる春海橋。支流の風景は路地のような雰囲気があります。
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# by michinobe8 | 2013-07-06 09:15 | 平成・デジタルカメラ | Comments(2)

鐘ヶ淵 夕暮れ時

鐘ヶ淵駅は東武伊勢崎線の浅草から4つ目、とうきょうスカイツリー駅から3つ目になります。
街の西は隅田川、東は荒川が流れている<川の街>ですね。

戦後、町工場が沢山あった影響で20数件の理容室が今でも営業を続けているということです。
と、云う風に何故か懐かしい雰囲気が残っているんです。
夕方に歩いていると、家々から生活の音が聞こえてきて<鐘ヶ淵は夕暮れ時が似合う街だ>とおもったりします。

それに、池波正太郎の<剣客商売>秋山小兵衛がお春と住まうところでもあったのですから、侮れませんね。
居酒屋が賑いを見せる
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カラフルな八百屋さん
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下校途中の子供たち
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銭湯へ行く
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理髪店
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夕方の月
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# by michinobe8 | 2013-07-03 12:05 | 平成・デジタルカメラ | Comments(5)

イメージ写真

1965年頃友人に無理矢理たのんでモデルになってもらいイメージ写真を撮りました。
何のイメージか失念しましたが。
撮影は夜、場所は新宿、それも裏通りです。はて??
夜の 新宿 裏通り 肩を寄せ合う通り雨・・八代亜紀<なみだ恋>という唄がありますね。
でも、<なみだ恋>という唄がヒットしたのは1973年だそうで、この写真はそれよりも8年近く前に撮影しています。
若い頃、何を考えながら撮影したのか・・今は、はっきり覚えていないのに
思わず笑える写真となって現れたのには参りました〈笑)
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この写真は銀座でモデル撮影をしていますが、フラメンコのイメージばかりが優先しているのは何故かしら?
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モデルは香山美子さんで、場所は調布の深大寺です。土木作業をしている所での撮影は私が決めたわけで・・。
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同じく香山さんがモデルの写真ですが、私はこのイメージは何であったのか覚えていません。
それで、当時の写真の<はやり>だった雰囲気にしてみました。

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上野・都美術館で派手に撮影してほしいと友人が頼まれたそうで、私も撮影に参加してみました。
まだ有名ではなかったネオダダイズム画家・篠原有司男さんの撮影だったのです。
当時は珍しいモヒカン刈りの篠原さんに驚きつつ、私の撮った写真です。
アンデパンダン展と同時開催していた華道の展覧会に来場した和服の女性たち。
今見てみると篠原さんとは面白い取り合わせかもしれないと手を加えてみました。

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# by michinobe8 | 2013-06-28 21:14 | 1960年代の写真 | Comments(2)

雨の遊行寺

今日のお天気は一日雨と聞いてはいましたが、友人と藤沢の遊行寺に行きました。
池袋から湘南ライナーに乗れば藤沢まで一本で便利になりました。
遊行上人〈宗祖は一遍上人〉で有名なお寺・遊行寺は雨が降ってしっとりと静かでした。

ネジバナに止まったモンシロチョウが動きません。
私たちも長いこと佇んでおりました。

それでも雨は止みそうにないので・・本堂でお参りして帰りましょう。
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遊行寺・雨・アジサイ
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ネジバナにとまるモンシロチョウ
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東京に戻っても雨は降り続けました。
バスの窓から眺めた雨に煙る練馬の街も、いつもとは違った風情があります。
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# by michinobe8 | 2013-06-26 22:26 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

雨が止むと・・

雨が止めば、庭の水瓶にでんでんむしが水を飲みに来る
水玉が光る
クチナシの花も満開をやや過ぎて・・
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「千葉のおじいちゃんの帽子にかえるが止まっているよ!」と孫から写メールが送られてくる。
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東京・下町を歩けば行儀良く傘や洗濯物が干してある
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東京でも郊外の若い人が多く住む街は洗濯物の干し方もワイルドだ
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# by michinobe8 | 2013-06-23 08:18 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

ダンス、そして映画

1950年代、父の撮った写真の中に3枚のダンスの写真がありました。
一枚は高原でのフォークダンス。
後の2枚は<夏の夜のダンスパーティー>という題名と撮影データが書いてありました。 
この2枚の写真は見た覚えがあって、子供心に今の言葉で言えば「ダサいなぁ!」とおもっていました。
何故かと申しますと、私のダンスのイメージはアメリカ映画・<風と共に去りぬ>や<若草物語>
ですからね。
でも今改めてこれらの写真を見ますと、皆真剣な顔をしてよほど楽しかったに違いありませんね。
父の勤めていた会社は〈小西六・現在のコニカミノルタ〉は、あの頃ダンスが盛んだったのでしょう。。
そのころ会社があった場所〈現在新宿・都庁の付近〉がパーティー会場だったと聞いた記憶がかすかに残っています。
父は戦前ダンスを習ったのでしょうか。従姉たちに家でダンスのステップを教えていたことを思い出します。
1950年代 夏の夜に踊る
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1950年代夏の夜のダンスパーティー
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高原でフォークダンス
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3年ほど前に私は<映画の看板の町・青梅>に行きました。
メインストリートのお店には私たちの年代がリアルタイムで見た看板たちが競って見られるのでした。
全てが今のシネコンなどで見るものとは大分違うようです。
でも確かにあの時代の映画館はこの看板でした。そして今よりもかなりの熱気があったように思います。
青梅に行った日は急にスコールのような雨が降りだして、映画<哀愁>の看板を見ながら雨宿りをしたのでした。
<哀愁>の映画ではロバート・テーラーとビビアン・リーの印象深いダンスの名場面があったことも忘れえぬことです。
2010年夏 映画の看板の町・青梅
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突然の夕立
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# by michinobe8 | 2013-06-21 10:53 | 父の撮った写真 | Comments(0)

1961年水上小学校・・ソラリゼーション

1961年ころ私たちは〈学生時代〉水上小学校の子供たちの生活を撮影していました。
場所は勝鬨橋を渡った所にあったと記憶します。
そのころは艀〈はしけ〉と呼ぶ運搬船や、木材輸送の筏〈いかだ〉が行き来して舟運が盛んでしたから、
それらの仕事をする水上生活者の子供たちは水上小学校に寄宿してお休みには舟に戻るという生活をしていました。

その時の写真はリーダーだった友人がピックアップして保管している筈??なのですが、あれから何年たったでしょうね〈笑〉

私はこの撮影でとんでもない失敗をしました。
撮影したフイルムを現像している最中に、青ランプと普通の電球と間違えて点けてしまったのです。
慌てて消しましたけれど・・出来上がったのはソラリゼーションという手法の写真になってしまいました。
それで、この写真は失敗として段ボールの中に放り込まれていたというわけです。
水上小学校は1966年廃校になったということです。
あの時の子供たちはもはや中年でしょう。お父さんやお母さんになっているのでしょうね。
そして散髪をしているお兄さんやお姉さんの優しそうなこと!
1961年頃水上小学校・散髪の日
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散髪の日2
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散髪の日3
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散髪の日4
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散髪の日5
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2013年勝鬨橋より隅田川を臨む
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# by michinobe8 | 2013-06-17 23:24 | 1960年代の写真 | Comments(0)

銀座4丁目

銀座4丁目の辺りを歩きますとこの頃決まって思い出す光景があります。
この交差点に交通整理のお巡りさんがいたことです。
そしてもっとおぼろげな記憶ではMPが交通整理をしていたことも。
映画俳優のタイロン・パワーがMPの時に此処銀座4丁目で交通整理をしていたことがあるという話は聞いたことがありますけれど・・

私は学生時代に西銀座デパートを歩いていた時
すれ違いざまにぶつかりそうになった外国人がアラン・ドロンだったという嘘のような本当の話があるのですよ。
1985年銀座4丁目
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1950年代父の撮った銀座4丁目夜景
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2012年銀座
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# by michinobe8 | 2013-06-14 22:17 | ’70年~’90年代の写真 | Comments(6)

楽しみな雑誌、愉快な漫画

1952年頃の弟たちの写真は一体何を見て笑っているのでしょう。
もちろん父が撮った写真ですが、恐らく少年雑誌のマンガでしょうね。
後ろの黒板にマンガの絵が画いてありますが、何のマンガでしょうか??
このころ私は〈小学6年生〉講談社の<少女クラブ>を購読していました。
<リボンの騎士>がステキでした。光文社<少女>の人気者は<あんみつ姫>。
友達と雑誌を交換して読みました。
上の弟が購読していた<少年>には<鉄腕アトム>が載っていて、これを読むのも楽しみの一つでした。
さて、1970年~’80年頃は私の子供たちの時代になります。
<少女クラブ>は<なかよし>となり内容は少女小説などからマンガ中心に変化して行きました。
マンガについては私は多くを知りません。詳しい人は沢山いますね〈笑〉
でも、子供たちの多くに支持され、絶大な人気者になったのは<ドラえもん>ではないでしょうか!
1952年雑誌を読む兄弟
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1978年なかよし
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1979年本屋さん
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1979年買う本が決まりました。
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1981年のび太くんスタイルで<ドラえもん>のマンガを読んでいます。
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2009年ノのび太くん
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# by michinobe8 | 2013-06-10 14:28 | 父の撮った写真 | Comments(0)

出前

1960年頃、モノクロ写真を撮るのが主流だった頃のこの写真は湯島で撮ったものです。
子供たちが路地で遊んでいる姿を何気なく追っていました。
今改めて見ますと、蕎麦の出前の自転車が通り過ぎています。
あの頃は特に珍しい姿ではなかったので気がつかなかったのでしょうか。
昨今は<出前>という言葉も使わなくなってきましたね。
<ピザの宅配>が流行る頃からでしょうか<デリバリー>という言葉の方があっているようにも思えます。
でも、下町を歩くと<出前>という言葉がぴったりくるような光景に出合い、ちょっと嬉しくなったりするのです。
1965年 湯島
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1997年頃 浅草
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2012年頃 浅草
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2013年 青物横丁
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2013年北品川
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# by michinobe8 | 2013-06-07 21:05 | 1960年代の写真 | Comments(2)

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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# by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)

兄、弟

弟たちのこの写真〈父、撮影〉を今見ると、思わず笑ってしまいます。
<坊ちゃん刈り>の頭はまさに昭和20年代のカットですね。
漫画≪サザエさん≫に出てくるような男の子のヘアスタイルというわけです。
服装も、三輪車も、それに下駄を履いています。
このお兄ちゃんはきっと弟思いですね。いやはや、本当にそうでした。
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先日また小金井公園の<江戸東京たてもの園>に行ってきました。
今回は<前川國男邸>をゆっくり見ましょうと娘と出かけたのです。
その帰り道、公園の出口付近に蒸気機関車が停車している駅を見つけました。
もちろん、公園の展示物ではありましたけれど、私にはまるで本当に田舎の駅に見えたのです。
駅の名前は<こがねいこうえん>でした。辺りは青々とした草におおわれ、所々にたんぽぽの花や綿毛がみえました。
ホームに水道の蛇口があるようでした。「あらっ、家の庭にあった水道の蛇口と同じ!」
その庭にもう大学生になっていた下の弟が模型の線路をつなげ、車両を走らせていたことも思い出しました。
この回想は私の心にふわっと通り過ぎて行く事柄です。
でも、現実の生活に花を添えてくれる大事な事の一つにもなりました。
こがねいこうえん駅
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たんぽぽの綿毛
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前川國男邸、書斎の机に置いてあった電話、小型テレビ、時計。
これらは高度成長期に向かおうとしている、日本の家庭によく見られた物たちです。
でも今目にするとまるでアンティークのようではありませんか。
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# by michinobe8 | 2013-05-30 12:03 | 父の撮った写真 | Comments(0)

昭和27年〈1952年〉鏡里関のの思い出

今年の大相撲5月場所は昨日白鵬対稀勢の里で白熱しましたね。
今場所一番の見どころだったのではないでしょうか。
相撲と言えば今から61年前「鏡里が伯父ちゃんの家に来ているって!」という弟の興奮した声に驚きました。
どうして?などと思う余裕もなく伯父の家に飛んで行きました。
当時私の家は伯父の家の敷地内にありました。ですからすぐに飛び込んで行けたわけです。
おずおずと座敷に入って行きますと、すでにいとこや沢山の人たちが鏡里関の周りに集まっていました。
確かあの時、鏡里は大関だったと思います。そしてこの写真の翌年〈1953年〉 横綱になります。
野球と相撲は子供たちの間で圧倒的な人気の時代でした。特に男の子たちのファンは多かったですね。
弟はお相撲さんのメンコを大事に持っていました。
<気はやさしくて力持ち>という言葉を絵に画いたような鏡里関をこんなに近くで見ることが出来たなんて、
とにかく嬉しかったです!
父は写真を撮ることを頼まれていたのでしょう。今、2枚写真が残っています。
でも、私は父があの部屋に居たということすら思い出すことができません。可笑しいですね。
ところで、この集合写真はもう一つ<不思議>があるのです。
鏡里関の向かって右隣に座っているイケメンの男の子は・・役者さんの中村嘉津雄さんです。
それから後ろの方に抱かれている赤ちゃんは嘉津雄さんの甥であり歌舞伎役者の中村歌六さんなのです。
嘉津雄さんのお兄さんである中村錦之助さん〈後の萬屋錦之助〉はこの年に“ひよどり草紙”という映画で美空ひばりの相手役をやり、その後爆発的な人気俳優となって行ったのです。
このようなことが度々起こる伯父の家は、私から見れば面白い家でした。
嘉津雄さんといとこ達がチャンバラごっこをしますと、嘉津雄さんはあまりに立ち回り上手で、戦う相手が面白がって見物することになってしまっり・・大笑いでした。
1952年、当時 大関鏡里
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まもなく横綱となった鏡里関の周りに集まる子供たち
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2013年五月場所、白鵬対稀勢の里の熱戦をテレビ観戦
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私は今、両国〈国技館〉の辺りや隅田川の川筋を歩くのが好きです。
恐らくあの時の鏡里関の好印象が影響しているのかもしれません。
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2013年1月 両国橋近く
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2013年1月蔵前橋夕景
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# by michinobe8 | 2013-05-26 11:55 | 父の撮った写真 | Comments(3)

昭和35年〈1960年〉 美少女

戸棚の一番奥に気になっている箱が一つありました。それが何と50年近くも放ったままです。
箱の中にかの美少女は眠っていたというわけです。
昭和35年。あえて、昭和35年と申します。私は20歳でした。
そして<昭和35年の美少女>は16才。悪戯っぽく微笑んでいます。
我家で丁度遊びに来た彼女の記念写真を撮りました。
それ迄お茶目だった従妹が急に美しくなったと感じました。
それで私は決めました。しばらく写真のモデルになって貰いましょう!
昭和35年〈1960年〉美少女
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女性の友人5人を誘い、何度撮影会をしたかしら??
昭和37年〈1962年〉丸の内で撮影をしたことがありました。
それからしばらくして、新聞に彼女の写真が載っていました。丸の内で私が撮った写真です。
<準ミスエールフランス>に選ばれたという新聞の記事を読んで、とても嬉しくなつたことを覚えています。
昭和37年〈1962年〉丸の内にて
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丸の内にて
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昭和37年〈1962年〉丸の内・・準ミスエールフランスの写真
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その後彼女は、映画に<香山美子>と云う名前でデビューしました。
香山美子さんの趣味・油絵
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# by michinobe8 | 2013-05-23 00:00 | 1960年代の写真 | Comments(4)

Come,come,everybody

Come,come,everybody How do you do,and how are you?
Won't you have some candy One and two and three,four,five?
Let's all sing a happy song Sing tra la la la
戦後まもなく〈昭和21年〉<証城寺の狸囃子>曲にのって奇妙な歌がラジオから流れてきました。
平川唯一さんのラジオ講座「英会話の時間」です。
敗戦国などと子供の私たちは考えることもなく歌いました。
でもこのような歌詞だなんて、恥ずかしいことについ最近まで知りませんでした。
数年前でしたか、友人とこの歌の話になりました。
彼女はまことに正確な歌詞で歌ったので驚きました。
私は弟たちと、このような歌い方をしていたのですよ。
Let's all sing a happy song ・・・
→エストルヒンガ ハッピーショー チンタララッタター
言い訳ですけれど、家のラジオは雑音が入ってよく聞こえなかったからかもしれませんね??
昭和34年武蔵小金井
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昭和36年立川
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昭和36年立川
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みんな出て来い来い来い 信楽のたぬき
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# by michinobe8 | 2013-05-20 00:29 | 1960年代の写真 | Comments(0)

絵画館前での買い物

絵画館の広場でお店をひろげているおばさん。父は写真を撮りたいと思ったのでしょう。
そして、出来上がった写真がこのようになりました。
この写真は何のコンクールかわかりませんが賞を取ったようでした。
私が幼い時は戦争で、戦後間もなくは世の中が混乱していましたから、おやつのお菓子などは余りありませんでした。
この写真を撮る頃になりますと、かなり世の中も落ち着いてきたようです。
露店でおやつを買ったのはこの時が初めてで、何だか楽しい気持ちになったのを覚えています。
母が衛生上のことをいつも心配していたのですが、父はどうしてもこのような形で写真を撮りたかったに違いないと思います。
私は今になってそのことを思い、笑いが込みあげてくるのです。
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さて、いつの世も子供に人気のある駄菓子屋さん。
1970年代後半私の子供たちがよく行った駄菓子屋さんの店主はお婆さんで<ばあちゃん店>と呼んでいましたっけ。
それから、子供たちが成長して、私はカメラを持って街歩きをするようになりましたが、下町は矢張り駄菓子屋さんが元気がありました。
1970年代後半頃、駄菓子屋さん
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下町の駄菓子屋さん
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近年その駄菓子屋さんも様子が変化してきました。
店の前には<ジューススタンド>や<たばこ販売機>など商売を成り立たせるために苦心しているのでしょうね。
2013年佃島
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# by michinobe8 | 2013-05-16 16:08 | 父の撮った写真 | Comments(4)

ガード下の靴磨き

中学生になって〈1953年頃〉私は写真部に入りました。
池袋の街に出て写真を撮るということがあったのでしょうか。
記憶はないのですが、その写真だけが残っています。
池袋駅の西口から東口に抜けるガードが今でも存在しています。
そのガードの西口側の入り口は靴磨きの人たちがずらりと並んで商売をしていました。
ガードの下では傷痍軍人が負傷した姿でアコーディオンを鳴らし、唄を歌っていました。
特に「異国の丘」という唄が耳に残っています。
靴磨きをやっている人は今写真を見ると女性〈おばさん〉が多いですね。
最近この写真を見るまで私は子供が磨いていたような思い込みがありました。
これも、唄のせいかもしれません。
宮城まり子の「ガード下の靴磨き」という唄が流れていたことがありましたから。
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2009年:靴磨きの人達が働いていた同じ場所
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児童労働の禁止はいつ頃からだったでしょう。
私が高校の修学旅行に行ったときに京都の鴨川沿いで<新聞売りをしている子供>の写真を撮っています。
1958年:新聞売りの少年
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# by michinobe8 | 2013-05-12 23:03 | 私の撮った1950年 | Comments(2)