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あの町 この道

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カテゴリ:父の撮った写真( 32 )

ヨット

1953年<夜のヨット>という題の父の作品が何のコンテストだったのでしょうか、賞をとったことがありました。
その為に興味深いデータが残っていました。
キャノン:セレナf/1.8 絞りF3.5 露出1/25 フイルム:ネオパンSS 
現像液:ハイドラム 現像時間:60分 印画紙:吉野2号 現像液:D-72 
フイルム現像に1時間かけたということです。通常は10分前後ですからヨットの画像を出すのにかなり長時間かけたことになりますね。
1953年 夜のヨット
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昨日友人の訃報が余りに静かに届き、自分の身の処し方に困りました。
彼女は湘南育ちで、ヨットの操縦もスクールで学んだりしていました。
1964年、私はその姿を撮影に行ったことがあります。
海は丁度無風で、御本人は苦笑いしながらモデル役を務めてくれました。
今この友人の写真を眺めながら、”灯篭流し”のような父の<夜のヨット>の写真画像が重なったり滲んだりして見えてくるのです。
1964年逗子にて
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1953年頃ヨット・風
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by michinobe8 | 2013-07-17 11:15 | 父の撮った写真 | Comments(2)

夏の思い出・・メチャロール

連日の猛暑にぐったりしながら、この写真を見て思わず吹き出しました。
1949年千葉県の鵜原海岸で父の撮った写真<メチャロール>です。
父の造語で浮き輪をしながら滅茶苦茶に泳いでいるということでしょうか。
今の子供たちはスイミングスクールに通う子が多く、このような泳ぎ方はしないでしょうね。

でも、メチャロールの子供たちも2年後くらいには、この鵜原海岸で1km~3㎞の遠泳を泳ぎきるようになったのですよ。
これはたまたま子供たちの通った小学校の水泳教育の賜物だったわけなのですが。
つまり、学校教育だけでも、このくらいは泳げるようになるというお話なのです。
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1983年・千葉県坂田海岸です。
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メチャロールをやっていた子供たちもお父さんお母さんになり・・その子供たちがいとこ同士で海水浴に行き・・
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夕方の海岸を散歩しています。
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遠く館山海岸の花火がみえます。
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by michinobe8 | 2013-07-10 21:41 | 父の撮った写真 | Comments(6)

ダンス、そして映画

1950年代、父の撮った写真の中に3枚のダンスの写真がありました。
一枚は高原でのフォークダンス。
後の2枚は<夏の夜のダンスパーティー>という題名と撮影データが書いてありました。 
この2枚の写真は見た覚えがあって、子供心に今の言葉で言えば「ダサいなぁ!」とおもっていました。
何故かと申しますと、私のダンスのイメージはアメリカ映画・<風と共に去りぬ>や<若草物語>
ですからね。
でも今改めてこれらの写真を見ますと、皆真剣な顔をしてよほど楽しかったに違いありませんね。
父の勤めていた会社は〈小西六・現在のコニカミノルタ〉は、あの頃ダンスが盛んだったのでしょう。。
そのころ会社があった場所〈現在新宿・都庁の付近〉がパーティー会場だったと聞いた記憶がかすかに残っています。
父は戦前ダンスを習ったのでしょうか。従姉たちに家でダンスのステップを教えていたことを思い出します。
1950年代 夏の夜に踊る
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1950年代夏の夜のダンスパーティー
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高原でフォークダンス
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3年ほど前に私は<映画の看板の町・青梅>に行きました。
メインストリートのお店には私たちの年代がリアルタイムで見た看板たちが競って見られるのでした。
全てが今のシネコンなどで見るものとは大分違うようです。
でも確かにあの時代の映画館はこの看板でした。そして今よりもかなりの熱気があったように思います。
青梅に行った日は急にスコールのような雨が降りだして、映画<哀愁>の看板を見ながら雨宿りをしたのでした。
<哀愁>の映画ではロバート・テーラーとビビアン・リーの印象深いダンスの名場面があったことも忘れえぬことです。
2010年夏 映画の看板の町・青梅
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突然の夕立
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by michinobe8 | 2013-06-21 10:53 | 父の撮った写真 | Comments(0)

楽しみな雑誌、愉快な漫画

1952年頃の弟たちの写真は一体何を見て笑っているのでしょう。
もちろん父が撮った写真ですが、恐らく少年雑誌のマンガでしょうね。
後ろの黒板にマンガの絵が画いてありますが、何のマンガでしょうか??
このころ私は〈小学6年生〉講談社の<少女クラブ>を購読していました。
<リボンの騎士>がステキでした。光文社<少女>の人気者は<あんみつ姫>。
友達と雑誌を交換して読みました。
上の弟が購読していた<少年>には<鉄腕アトム>が載っていて、これを読むのも楽しみの一つでした。
さて、1970年~’80年頃は私の子供たちの時代になります。
<少女クラブ>は<なかよし>となり内容は少女小説などからマンガ中心に変化して行きました。
マンガについては私は多くを知りません。詳しい人は沢山いますね〈笑〉
でも、子供たちの多くに支持され、絶大な人気者になったのは<ドラえもん>ではないでしょうか!
1952年雑誌を読む兄弟
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1978年なかよし
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1979年本屋さん
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1979年買う本が決まりました。
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1981年のび太くんスタイルで<ドラえもん>のマンガを読んでいます。
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2009年ノのび太くん
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by michinobe8 | 2013-06-10 14:28 | 父の撮った写真 | Comments(0)

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)

兄、弟

弟たちのこの写真〈父、撮影〉を今見ると、思わず笑ってしまいます。
<坊ちゃん刈り>の頭はまさに昭和20年代のカットですね。
漫画≪サザエさん≫に出てくるような男の子のヘアスタイルというわけです。
服装も、三輪車も、それに下駄を履いています。
このお兄ちゃんはきっと弟思いですね。いやはや、本当にそうでした。
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先日また小金井公園の<江戸東京たてもの園>に行ってきました。
今回は<前川國男邸>をゆっくり見ましょうと娘と出かけたのです。
その帰り道、公園の出口付近に蒸気機関車が停車している駅を見つけました。
もちろん、公園の展示物ではありましたけれど、私にはまるで本当に田舎の駅に見えたのです。
駅の名前は<こがねいこうえん>でした。辺りは青々とした草におおわれ、所々にたんぽぽの花や綿毛がみえました。
ホームに水道の蛇口があるようでした。「あらっ、家の庭にあった水道の蛇口と同じ!」
その庭にもう大学生になっていた下の弟が模型の線路をつなげ、車両を走らせていたことも思い出しました。
この回想は私の心にふわっと通り過ぎて行く事柄です。
でも、現実の生活に花を添えてくれる大事な事の一つにもなりました。
こがねいこうえん駅
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たんぽぽの綿毛
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前川國男邸、書斎の机に置いてあった電話、小型テレビ、時計。
これらは高度成長期に向かおうとしている、日本の家庭によく見られた物たちです。
でも今目にするとまるでアンティークのようではありませんか。
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by michinobe8 | 2013-05-30 12:03 | 父の撮った写真 | Comments(0)

昭和27年〈1952年〉鏡里関の思い出

今年の大相撲5月場所は昨日白鵬対稀勢の里で白熱しましたね。
今場所一番の見どころだったのではないでしょうか。
相撲と言えば今から61年前「鏡里が伯父ちゃんの家に来ているって!」という弟の興奮した声に驚きました。
どうして?などと思う余裕もなく伯父の家に飛んで行きました。
当時私の家は伯父の家の敷地内にありました。ですからすぐに飛び込んで行けたわけです。
おずおずと座敷に入って行きますと、すでにいとこや沢山の人たちが鏡里関の周りに集まっていました。
確かあの時、鏡里は大関だったと思います。そしてこの写真の翌年〈1953年〉 横綱になります。
野球と相撲は子供たちの間で圧倒的な人気の時代でした。特に男の子たちのファンは多かったですね。
弟はお相撲さんのメンコを大事に持っていました。
<気はやさしくて力持ち>という言葉を絵に画いたような鏡里関をこんなに近くで見ることが出来たなんて、
とにかく嬉しかったです!
父は写真を撮ることを頼まれていたのでしょう。今、2枚写真が残っています。
でも、私は父があの部屋に居たということすら思い出すことができません。可笑しいですね。
ところで、この集合写真はもう一つ<不思議>があるのです。
鏡里関の向かって右隣に座っているイケメンの男の子は・・役者さんの中村嘉津雄さんです。
それから後ろの方に抱かれている赤ちゃんは嘉津雄さんの甥であり歌舞伎役者の中村歌六さんなのです。
嘉津雄さんのお兄さんである中村錦之助さん〈後の萬屋錦之助〉はこの年に“ひよどり草紙”という映画で美空ひばりの相手役をやり、その後爆発的な人気俳優となって行ったのです。
このようなことが度々起こる伯父の家は、私から見れば面白い家でした。
嘉津雄さんといとこ達がチャンバラごっこをしますと、嘉津雄さんはあまりに立ち回り上手で、戦う相手が面白がって見物することになってしまっり・・大笑いでした。
1952年、当時 大関鏡里
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まもなく横綱となった鏡里関の周りに集まる子供たち
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2013年五月場所、白鵬対稀勢の里の熱戦をテレビ観戦
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私は今、両国〈国技館〉の辺りや隅田川の川筋を歩くのが好きです。
恐らくあの時の鏡里関の好印象が影響しているのかもしれません。
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2013年1月 両国橋近く
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2013年1月蔵前橋夕景
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by michinobe8 | 2013-05-26 11:55 | 父の撮った写真 | Comments(3)

絵画館前での買い物

絵画館の広場でお店をひろげているおばさん。父は写真を撮りたいと思ったのでしょう。
そして、出来上がった写真がこのようになりました。
この写真は何のコンクールかわかりませんが賞を取ったようでした。
私が幼い時は戦争で、戦後間もなくは世の中が混乱していましたから、おやつのお菓子などは余りありませんでした。
この写真を撮る頃になりますと、かなり世の中も落ち着いてきたようです。
露店でおやつを買ったのはこの時が初めてで、何だか楽しい気持ちになったのを覚えています。
母が衛生上のことをいつも心配していたのですが、父はどうしてもこのような形で写真を撮りたかったに違いないと思います。
私は今になってそのことを思い、笑いが込みあげてくるのです。
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さて、いつの世も子供に人気のある駄菓子屋さん。
1970年代後半私の子供たちがよく行った駄菓子屋さんの店主はお婆さんで<ばあちゃん店>と呼んでいましたっけ。
それから、子供たちが成長して、私はカメラを持って街歩きをするようになりましたが、下町は矢張り駄菓子屋さんが元気がありました。
1970年代後半頃、駄菓子屋さん
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下町の駄菓子屋さん
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近年その駄菓子屋さんも様子が変化してきました。
店の前には<ジューススタンド>や<たばこ販売機>など商売を成り立たせるために苦心しているのでしょうね。
2013年佃島
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by michinobe8 | 2013-05-16 16:08 | 父の撮った写真 | Comments(4)

風で飛んだ帽子

風で吹き飛ばされた帽子の写真は弟のアルバムの中にありました。
私はこの写真が印象的に心の中に残っていました。、
弟の話によりますと、1953年銀座松屋の屋上で父は屋上の、そのまた高い所に上りこの写真を撮ったということでした。
母が「あぶない!」と降りて来るまで気をもんだそうです。
「それで、遊園地の飛行機とか乗った?」と聞きましたがそれは記憶にないそうです。
当時デパートの屋上は子供たちが喜びそうな場所でした。
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武蔵小金井にお家がある友達の家に遊びに行った時のことも思い出として強く残っています。
私たちは学校のある池袋近辺に住んでいましたから、
山手線と中央線を乗り継いで行く武蔵小金井はちょっとした旅でした。
小金井はあたりがとても広々していてトウモロコシ畑がありました。
友達のお母さんが「暑いからシュミーズで遊びなさい」と言って下さり、
歓声を上げすぐさまゴム飛びをやったように思います。
その後に食べたトウモロコシは格別美味しく感じました。
おともだち
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小学生だった私も高校生になり、両親が<終の棲家>と建てた家が武蔵小金井で、
私は友達の家の近くに引っ越して同じ高校の同じクラスになるとは
シュミーズ姿の時は思いもよらなかったことです。
1960年ころ武蔵小金井・原っぱで遊ぶこども
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by michinobe8 | 2013-05-09 11:51 | 父の撮った写真 | Comments(6)

子供の情景・・秋川渓谷・・ここも東京

昭和25年頃かと思いますが、父は弟たちが遊んでいる姿を折があれば撮影していました。
今その頃の写真を見ますと、弟たちがキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくるようです。
戦後、社会が少しづつ落ち着きを取り戻し、あちこちでアマチュアカメラマンの撮影会が催されました。
そして、私たち家族はそれを口実によくピクニックに出かけたものでした。
そのなかで、とても楽しかったのは秋川渓谷の川遊びだったと思います。
昨日武蔵五日市に出かけました。
檜原街道をしばらく歩いて左に折れる坂道を下りて行きますと、そこには懐かしい川が流れていました。
秋川渓谷です。
折からゴールデンウイークでもあり、川原ではバーベキューで楽しんでいる人たちの姿も見受けられます。

河原には降りずに川に沿った道を歩き続けますと、時々土地の子供らしい数人が走り回っている姿を見つけました。
そうそう、あの頃の子供たちは何故か闇雲に走ったりしていたように思うのは私だけなのかな?
まだ水は冷たいでしょうに、川の浅瀬を歩いて渡っている女の子の姿に自分を重ねたりして
今日の散歩は<満足、満足>となりました。
昭和27年頃、朝の縄跳び
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走る少年たち<秋川>
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浅瀬を歩く少女<秋川>
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カラスノエンドウ
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新緑」<秋川渓谷>
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by michinobe8 | 2013-04-29 22:15 | 父の撮った写真 | Comments(6)