あの町 この道

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上野のお山と2人のおばあちゃんの話

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       2014年西郷さんの銅像とデイゴの木
上野公園に行くと時々思い出すことがあります。
1つは 夫の祖母が私につぶやく様に話をしてくれました。

「関東大震災は怖かったね・・・・おひつを持って逃げたのだよ・・それが、すえた方のおひつだった・・」
と、なんとも悔しそうな様子になりました。

関東大震災は1923年(大正12年)9月1日午前11時58分におきました。昼食の時間になろうとしている時です。
恐らくおばあちゃんの家には、ご飯を入れるおひつが幾つかあって、
その中のすえてしまった(すっぱくなってしまった方の)おひつを慌てて抱え避難した、と言うのです。
浅草の合羽橋商店街に自宅がありましたから、逃げた先は上野のお山だったのです。
それだけの話だったのですが、今もっと、話を聞けばよかったと思うのです。

もう一つは、夫の友人のMさんから聞いた話ですが、東京大空襲の時の事です。
その友人の家は酒屋さんで、上野駅から御徒町方面に向かって線路が高架になっていますが、
その高架下にお店はあったようです。大空襲に襲われ、家族は上野の山に逃げたという事でした。それは想像を絶するような事だったでしょう。
私は真っ黒こげになった遺体が山のように積まれていた光景の写真を見た事があります。
犠牲者を火葬する臨時の火葬場が西郷さんの銅像の横にあったという話も聞いたことがあります。
友人のMさんは「しばらくして、おばあちゃんが家の様子を見て来ると言って店に帰ったのだけれど、電車の高架下だから頑丈に出来ていて無事だったんだ。
おひつに入っていたご飯をおにぎりにして持って帰ってきたよ」と言いました。
関東大震災に東京大空襲。
2人のおばあちゃんはその時、今の私より若かったと思いますが、誠に見事な人たちだったと思うのです。
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     上野公園口の秋  2007年
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      奏楽堂が見えるのどかな道



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by michinobe8 | 2018-12-12 16:05 | Comments(0)

金物屋さん・小岩

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小岩で久し振りに金物屋さんを見つけました。
やかんが沢山ぶら下がっています。お鍋が重なって置いてあります。
まさしく金物屋さんです。
2 鰻屋さん
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手芸屋さんには黄色い看板に<コットン、ウラジ、ボタン>と書いてあります。
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おまけに<モンロー・ウオーク>というお店までありました。
小岩店とありますから、チェーン店なのでしょうか?
お店の前を歩いている人は<モンロー・ウオーク>ではありませんね。
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by michinobe8 | 2016-06-26 21:48 | Comments(0)

初夢

<初夢>はまだ見ていないのですけれどね、
写真を撮ること共にスケッチも出来たらいいなと思います。
ほんのいたずらがきでも好いのですよ。

元日の今日、初参りに行きました。
おみくじを引きましたら歌が書かれてあって気に入りました。

吹く風に 沖辺の波の 高けれど 心静けき 我が港かな
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by michinobe8 | 2016-01-01 18:05 | Comments(4)

昭和20年8月15日終戦


これは終戦の年の冬撮ったものです。
私の家族と同じ所に疎開していた母の姉家族が、とに角皆死なずに終戦を迎えられたということで記念写真を撮りました。
戦争の最中は伯父は軍医でしたから高崎に。父は小西六写真工業の工場があった新宿に詰めていましたので、
つまり女子供が生活を共にしていたわけです。
疎開先は栃木県佐野でした。

向かって右の家族が私の家族ですが、前列右端の私の兄は翌年肺炎にかかり亡くなりました。
栄養状態も良くなかったでしょうし、薬も思うようには無かったので子供の死亡率は高かったのです。
終戦の日、伯母と母は部屋の電気を明るくつけて「今日から暗くなくて嬉しい」と喜んでいたのが印象的です。
私は毎晩、空襲警報で防空壕に逃げなくてもいいのかなと思ったりしていました。
1945年冬・終戦の年
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by michinobe8 | 2013-08-07 23:21 | Comments(5)