人気ブログランキング |

あの町 この道

michinobe8.exblog.jp
ブログトップ

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
e0323465_14592294.jpg

この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
e0323465_1511880.jpg

会社の人達と
e0323465_1524874.jpg

羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
e0323465_1551870.jpg

by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(3)
Commented by 二俣川のカメラ好き at 2013-06-03 08:27 x
小生の初任給が2万円±で飛びついた頃の写真。熱気のある時代でしたね。
Commented by mitinobe at 2013-06-03 11:19 x
二俣川さんありがとう。二俣川さんが入社した頃の若い姿を思い出しましたよ。
Commented by capt_rainbow at 2019-07-09 20:40
この旅客機はDC6Bと呼ばれるダグラス社製の航空機で、エンジンを四基備えたプロペラ機です。
私も乗客としてこの航空機に千歳から羽田まで搭乗したことがあります。深夜便と呼ばれ、本当に深夜の運航でした。南に向かって飛行するので左手が東になるのですが、飛行機が初体験で何も分からず、「日の出が見たいのでどっちに座ればよいか」と尋ねました。好きなところに座れる良き時代だったのでしょう。
乗客の登場が始まっているみたいですね。