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タグ:父の撮った写真 ( 6 ) タグの人気記事

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)

絵画館前での買い物

絵画館の広場でお店をひろげているおばさん。父は写真を撮りたいと思ったのでしょう。
そして、出来上がった写真がこのようになりました。
この写真は何のコンクールかわかりませんが賞を取ったようでした。
私が幼い時は戦争で、戦後間もなくは世の中が混乱していましたから、おやつのお菓子などは余りありませんでした。
この写真を撮る頃になりますと、かなり世の中も落ち着いてきたようです。
露店でおやつを買ったのはこの時が初めてで、何だか楽しい気持ちになったのを覚えています。
母が衛生上のことをいつも心配していたのですが、父はどうしてもこのような形で写真を撮りたかったに違いないと思います。
私は今になってそのことを思い、笑いが込みあげてくるのです。
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さて、いつの世も子供に人気のある駄菓子屋さん。
1970年代後半私の子供たちがよく行った駄菓子屋さんの店主はお婆さんで<ばあちゃん店>と呼んでいましたっけ。
それから、子供たちが成長して、私はカメラを持って街歩きをするようになりましたが、下町は矢張り駄菓子屋さんが元気がありました。
1970年代後半頃、駄菓子屋さん
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下町の駄菓子屋さん
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近年その駄菓子屋さんも様子が変化してきました。
店の前には<ジューススタンド>や<たばこ販売機>など商売を成り立たせるために苦心しているのでしょうね。
2013年佃島
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by michinobe8 | 2013-05-16 16:08 | 父の撮った写真 | Comments(4)

風で飛んだ帽子

風で吹き飛ばされた帽子の写真は弟のアルバムの中にありました。
私はこの写真が印象的に心の中に残っていました。、
弟の話によりますと、1953年銀座松屋の屋上で父は屋上の、そのまた高い所に上りこの写真を撮ったということでした。
母が「あぶない!」と降りて来るまで気をもんだそうです。
「それで、遊園地の飛行機とか乗った?」と聞きましたがそれは記憶にないそうです。
当時デパートの屋上は子供たちが喜びそうな場所でした。
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武蔵小金井にお家がある友達の家に遊びに行った時のことも思い出として強く残っています。
私たちは学校のある池袋近辺に住んでいましたから、
山手線と中央線を乗り継いで行く武蔵小金井はちょっとした旅でした。
小金井はあたりがとても広々していてトウモロコシ畑がありました。
友達のお母さんが「暑いからシュミーズで遊びなさい」と言って下さり、
歓声を上げすぐさまゴム飛びをやったように思います。
その後に食べたトウモロコシは格別美味しく感じました。
おともだち
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小学生だった私も高校生になり、両親が<終の棲家>と建てた家が武蔵小金井で、
私は友達の家の近くに引っ越して同じ高校の同じクラスになるとは
シュミーズ姿の時は思いもよらなかったことです。
1960年ころ武蔵小金井・原っぱで遊ぶこども
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by michinobe8 | 2013-05-09 11:51 | 父の撮った写真 | Comments(6)

女学生

女学生が<九段3丁目>で都電を待っているこの写真は私が50年ほど前に撮影したものです。
この写真を撮って翌年でしたか・・東京オリンピックが開催されました。
そして、都電は東京から姿を消して行きました。

昨日友人に誘われて九段下の昭和館に中原淳一の展覧会を観に行きました。
生誕100年・没後30周年記念の一環で<中原淳一の生きた戦中・戦後~少女像にこめた夢と憧れ>というものでした。
戦争中に女学生だった従姉たちは戦後、中原淳一の雑誌<ひまわり>を購読し、まだ小学生だった私は大人の本を見るような気持ちで読んだものでした。
会場の展示物を見て行くうちに私は中原淳一が国防色の服を着用している写真に目が止まりました。
静かな顔の写真でしたけれど、戦時下というものはファッションに敏感な人も無理矢理同じ国防色に塗られれてしまったわけですね。
そして、そのそばに当時の貼り紙が展示されていました。
<パーマネントをかけている人は町内に入ることをご遠慮ねがいます>

ところで、父が1950年代に銀座で撮った写真があります。
戦時下、もんぺ姿で過ごした女学生たち・・
彼女たちが少しゆとりが出てきたこの頃に<銀ブラ>をしている姿です。
なんて楽しそうなんでしょうね。
九段上・今から50年ほど前
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中原淳一展・九段下
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銀ブラをする女性たち<1950年代>
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by michinobe8 | 2013-05-03 11:18 | 1960年代の写真 | Comments(4)

子供の情景・・秋川渓谷・・ここも東京

昭和25年頃かと思いますが、父は弟たちが遊んでいる姿を折があれば撮影していました。
今その頃の写真を見ますと、弟たちがキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくるようです。
戦後、社会が少しづつ落ち着きを取り戻し、あちこちでアマチュアカメラマンの撮影会が催されました。
そして、私たち家族はそれを口実によくピクニックに出かけたものでした。
そのなかで、とても楽しかったのは秋川渓谷の川遊びだったと思います。
昨日武蔵五日市に出かけました。
檜原街道をしばらく歩いて左に折れる坂道を下りて行きますと、そこには懐かしい川が流れていました。
秋川渓谷です。
折からゴールデンウイークでもあり、川原ではバーベキューで楽しんでいる人たちの姿も見受けられます。

河原には降りずに川に沿った道を歩き続けますと、時々土地の子供らしい数人が走り回っている姿を見つけました。
そうそう、あの頃の子供たちは何故か闇雲に走ったりしていたように思うのは私だけなのかな?
まだ水は冷たいでしょうに、川の浅瀬を歩いて渡っている女の子の姿に自分を重ねたりして
今日の散歩は<満足、満足>となりました。
昭和27年頃、朝の縄跳び
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走る少年たち<秋川>
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浅瀬を歩く少女<秋川>
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カラスノエンドウ
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新緑」<秋川渓谷>
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by michinobe8 | 2013-04-29 22:15 | 父の撮った写真 | Comments(6)

僕はアマチュアカメラマン??

買い物途中のあちこちで小学一年生の下校姿が見受けられます。
街角にはママさんたちが数人お迎えに出ているようです。
私も数年前におばあちゃんとしてお迎えに出ることが度々ありました。
黄色い帽子の一年生がかたまってやってくると、タンポポの花が咲いているようでした。

10年ひと昔と言いますが、60年前なら6昔になるのでしょうか。
私の父は当時カメラの設計の仕事〈小西六〉に携わっていました。
そしてアマチュアカメラマンでもありました。
戦後、世の中が落ち着いてきたころ、趣味で写真を撮ろうと云う人たちが多くなったのでしょう。
ラジオから
「僕はアマチュアカメラマン 素敵なカメラをぶらさげて 可愛いあの子を日向に立たせ 前から横から斜めから あっち向いてこっち向いて はい、パチリはいいけれど
 写真が出来たら みんなピンボケだ ああピンボケだ・・」
という歌が流れていました。
最近知ったことなのですが、民放第一声で新番組を始めたいという小西六〈現在コニカミノルタ〉が
当時大人気の作曲家三木鶏郎さんに依頼して誕生した日本初のコマーシャルソングなのだそうです。
父が「好い歌だ!}と何度も言うのを可笑しく思っていましたけれど、今頃、成程と感心しているのです。

そして、小学一年生の姿を見ると、父が撮った写真のことを思い出すのです。

60年前の思い出
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2008年小学一年生
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タンポポ
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2008年4月
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by michinobe8 | 2013-04-17 15:46 | 父の撮った写真 | Comments(2)