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ちひろ美術館<戦火のなかの子どもたち>

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ちひろ美術館東京での展示が<奈良美智がつくる茂田井武展><高畑勲がつくるちひろ展>ということで、
私は特に茂田井武の絵が好きででしたから、出かけて行きました。

同時に展示されていた<高畑勲がつくるちひろ展>は、太平洋戦争のことを必ず思い出す暑い8月に、
心につきささるようなメッセージでありました。
高畑さんは映画「火垂るの墓」野坂昭如原作 を監督されましたが、若い制作スタッフに、
ちひろの絵本「戦火のなかの子どもたち」(ベトナム戦争が続いた時の作品です)
を見せて想像力を高めてもらったということです。

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by michinobe8 | 2017-08-13 11:34 | 2017年の写真 | Comments(0)

戦後を知らない世代

これは1951年(昭和26年)高幡不動で父が撮った写真です。
写真の中ほどで白い装束でお辞儀をしている人は見たことが無いという人は昨今多くなったことでしょう。
傷痍軍人ですね。私が子供のころは人が多い所、電車の中でよく見かけました。
<戦争を知らない子供たち>という唄がありましたが、もはや<戦後を知らない世代>だと言った人がいます。
そうかもしれませんね。
今年成人式をあげた孫は、平成6年誕生なのですから。
<戦争を知らない><戦後を知らない>ということが、どんなに素晴らしいことなのか
せめて私たちの世代は話続けなくてはいけないのでしょうね。
1945年3月10日は東京大空襲の日でした。
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by michinobe8 | 2014-03-09 22:04 | 父の撮った写真 | Comments(3)

昭和20年8月15日終戦


これは終戦の年の冬撮ったものです。
私の家族と同じ所に疎開していた母の姉家族が、とに角皆死なずに終戦を迎えられたということで記念写真を撮りました。
戦争の最中は伯父は軍医でしたから高崎に。父は小西六写真工業の工場があった新宿に詰めていましたので、
つまり女子供が生活を共にしていたわけです。
疎開先は栃木県佐野でした。

向かって右の家族が私の家族ですが、前列右端の私の兄は翌年肺炎にかかり亡くなりました。
栄養状態も良くなかったでしょうし、薬も思うようには無かったので子供の死亡率は高かったのです。
終戦の日、伯母と母は部屋の電気を明るくつけて「今日から暗くなくて嬉しい」と喜んでいたのが印象的です。
私は毎晩、空襲警報で防空壕に逃げなくてもいいのかなと思ったりしていました。
1945年冬・終戦の年
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by michinobe8 | 2013-08-07 23:21 | Comments(5)