あの町 この道

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イメージ写真

1965年頃友人に無理矢理たのんでモデルになってもらいイメージ写真を撮りました。
何のイメージか失念しましたが。
撮影は夜、場所は新宿、それも裏通りです。はて??
夜の 新宿 裏通り 肩を寄せ合う通り雨・・八代亜紀<なみだ恋>という唄がありますね。
でも、<なみだ恋>という唄がヒットしたのは1973年だそうで、この写真はそれよりも8年近く前に撮影しています。
若い頃、何を考えながら撮影したのか・・今は、はっきり覚えていないのに
思わず笑える写真となって現れたのには参りました〈笑)
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この写真は銀座でモデル撮影をしていますが、フラメンコのイメージばかりが優先しているのは何故かしら?
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モデルは香山美子さんで、場所は調布の深大寺です。土木作業をしている所での撮影は私が決めたわけで・・。
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同じく香山さんがモデルの写真ですが、私はこのイメージは何であったのか覚えていません。
それで、当時の写真の<はやり>だった雰囲気にしてみました。

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上野・都美術館で派手に撮影してほしいと友人が頼まれたそうで、私も撮影に参加してみました。
まだ有名ではなかったネオダダイズム画家・篠原有司男さんの撮影だったのです。
当時は珍しいモヒカン刈りの篠原さんに驚きつつ、私の撮った写真です。
アンデパンダン展と同時開催していた華道の展覧会に来場した和服の女性たち。
今見てみると篠原さんとは面白い取り合わせかもしれないと手を加えてみました。

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# by michinobe8 | 2013-06-28 21:14 | 1960年代の写真 | Comments(2)

雨の遊行寺

今日のお天気は一日雨と聞いてはいましたが、友人と藤沢の遊行寺に行きました。
池袋から湘南ライナーに乗れば藤沢まで一本で便利になりました。
遊行上人〈宗祖は一遍上人〉で有名なお寺・遊行寺は雨が降ってしっとりと静かでした。

ネジバナに止まったモンシロチョウが動きません。
私たちも長いこと佇んでおりました。

それでも雨は止みそうにないので・・本堂でお参りして帰りましょう。
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遊行寺・雨・アジサイ
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ネジバナにとまるモンシロチョウ
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東京に戻っても雨は降り続けました。
バスの窓から眺めた雨に煙る練馬の街も、いつもとは違った風情があります。
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# by michinobe8 | 2013-06-26 22:26 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

雨が止むと・・

雨が止めば、庭の水瓶にでんでんむしが水を飲みに来る
水玉が光る
クチナシの花も満開をやや過ぎて・・
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2
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3
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「千葉のおじいちゃんの帽子にかえるが止まっているよ!」と孫から写メールが送られてくる。
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東京・下町を歩けば行儀良く傘や洗濯物が干してある
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東京でも郊外の若い人が多く住む街は洗濯物の干し方もワイルドだ
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# by michinobe8 | 2013-06-23 08:18 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

ダンス、そして映画

1950年代、父の撮った写真の中に3枚のダンスの写真がありました。
一枚は高原でのフォークダンス。
後の2枚は<夏の夜のダンスパーティー>という題名と撮影データが書いてありました。 
この2枚の写真は見た覚えがあって、子供心に今の言葉で言えば「ダサいなぁ!」とおもっていました。
何故かと申しますと、私のダンスのイメージはアメリカ映画・<風と共に去りぬ>や<若草物語>
ですからね。
でも今改めてこれらの写真を見ますと、皆真剣な顔をしてよほど楽しかったに違いありませんね。
父の勤めていた会社は〈小西六・現在のコニカミノルタ〉は、あの頃ダンスが盛んだったのでしょう。。
そのころ会社があった場所〈現在新宿・都庁の付近〉がパーティー会場だったと聞いた記憶がかすかに残っています。
父は戦前ダンスを習ったのでしょうか。従姉たちに家でダンスのステップを教えていたことを思い出します。
1950年代 夏の夜に踊る
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1950年代夏の夜のダンスパーティー
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高原でフォークダンス
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3年ほど前に私は<映画の看板の町・青梅>に行きました。
メインストリートのお店には私たちの年代がリアルタイムで見た看板たちが競って見られるのでした。
全てが今のシネコンなどで見るものとは大分違うようです。
でも確かにあの時代の映画館はこの看板でした。そして今よりもかなりの熱気があったように思います。
青梅に行った日は急にスコールのような雨が降りだして、映画<哀愁>の看板を見ながら雨宿りをしたのでした。
<哀愁>の映画ではロバート・テーラーとビビアン・リーの印象深いダンスの名場面があったことも忘れえぬことです。
2010年夏 映画の看板の町・青梅
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突然の夕立
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# by michinobe8 | 2013-06-21 10:53 | 父の撮った写真 | Comments(0)

1961年水上小学校・・ソラリゼーション

1961年ころ私たちは〈学生時代〉水上小学校の子供たちの生活を撮影していました。
場所は勝鬨橋を渡った所にあったと記憶します。
そのころは艀〈はしけ〉と呼ぶ運搬船や、木材輸送の筏〈いかだ〉が行き来して舟運が盛んでしたから、
それらの仕事をする水上生活者の子供たちは水上小学校に寄宿してお休みには舟に戻るという生活をしていました。

その時の写真はリーダーだった友人がピックアップして保管している筈??なのですが、あれから何年たったでしょうね〈笑〉

私はこの撮影でとんでもない失敗をしました。
撮影したフイルムを現像している最中に、青ランプと普通の電球と間違えて点けてしまったのです。
慌てて消しましたけれど・・出来上がったのはソラリゼーションという手法の写真になってしまいました。
それで、この写真は失敗として段ボールの中に放り込まれていたというわけです。
水上小学校は1966年廃校になったということです。
あの時の子供たちはもはや中年でしょう。お父さんやお母さんになっているのでしょうね。
そして散髪をしているお兄さんやお姉さんの優しそうなこと!
1961年頃水上小学校・散髪の日
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散髪の日2
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散髪の日3
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散髪の日4
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散髪の日5
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2013年勝鬨橋より隅田川を臨む
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# by michinobe8 | 2013-06-17 23:24 | 1960年代の写真 | Comments(0)

銀座4丁目

銀座4丁目の辺りを歩きますとこの頃決まって思い出す光景があります。
この交差点に交通整理のお巡りさんがいたことです。
そしてもっとおぼろげな記憶ではMPが交通整理をしていたことも。
映画俳優のタイロン・パワーがMPの時に此処銀座4丁目で交通整理をしていたことがあるという話は聞いたことがありますけれど・・

私は学生時代に西銀座デパートを歩いていた時
すれ違いざまにぶつかりそうになった外国人がアラン・ドロンだったという嘘のような本当の話があるのですよ。
1985年銀座4丁目
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1950年代父の撮った銀座4丁目夜景
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2012年銀座
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# by michinobe8 | 2013-06-14 22:17 | ’70年~’90年代の写真 | Comments(6)

楽しみな雑誌、愉快な漫画

1952年頃の弟たちの写真は一体何を見て笑っているのでしょう。
もちろん父が撮った写真ですが、恐らく少年雑誌のマンガでしょうね。
後ろの黒板にマンガの絵が画いてありますが、何のマンガでしょうか??
このころ私は〈小学6年生〉講談社の<少女クラブ>を購読していました。
<リボンの騎士>がステキでした。光文社<少女>の人気者は<あんみつ姫>。
友達と雑誌を交換して読みました。
上の弟が購読していた<少年>には<鉄腕アトム>が載っていて、これを読むのも楽しみの一つでした。
さて、1970年~’80年頃は私の子供たちの時代になります。
<少女クラブ>は<なかよし>となり内容は少女小説などからマンガ中心に変化して行きました。
マンガについては私は多くを知りません。詳しい人は沢山いますね〈笑〉
でも、子供たちの多くに支持され、絶大な人気者になったのは<ドラえもん>ではないでしょうか!
1952年雑誌を読む兄弟
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1978年なかよし
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1979年本屋さん
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1979年買う本が決まりました。
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1981年のび太くんスタイルで<ドラえもん>のマンガを読んでいます。
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2009年ノのび太くん
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# by michinobe8 | 2013-06-10 14:28 | 父の撮った写真 | Comments(0)

出前

1960年頃、モノクロ写真を撮るのが主流だった頃のこの写真は湯島で撮ったものです。
子供たちが路地で遊んでいる姿を何気なく追っていました。
今改めて見ますと、蕎麦の出前の自転車が通り過ぎています。
あの頃は特に珍しい姿ではなかったので気がつかなかったのでしょうか。
昨今は<出前>という言葉も使わなくなってきましたね。
<ピザの宅配>が流行る頃からでしょうか<デリバリー>という言葉の方があっているようにも思えます。
でも、下町を歩くと<出前>という言葉がぴったりくるような光景に出合い、ちょっと嬉しくなったりするのです。
1965年 湯島
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1997年頃 浅草
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2012年頃 浅草
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2013年 青物横丁
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2013年北品川
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# by michinobe8 | 2013-06-07 21:05 | 1960年代の写真 | Comments(2)

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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# by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)

兄、弟

弟たちのこの写真〈父、撮影〉を今見ると、思わず笑ってしまいます。
<坊ちゃん刈り>の頭はまさに昭和20年代のカットですね。
漫画≪サザエさん≫に出てくるような男の子のヘアスタイルというわけです。
服装も、三輪車も、それに下駄を履いています。
このお兄ちゃんはきっと弟思いですね。いやはや、本当にそうでした。
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先日また小金井公園の<江戸東京たてもの園>に行ってきました。
今回は<前川國男邸>をゆっくり見ましょうと娘と出かけたのです。
その帰り道、公園の出口付近に蒸気機関車が停車している駅を見つけました。
もちろん、公園の展示物ではありましたけれど、私にはまるで本当に田舎の駅に見えたのです。
駅の名前は<こがねいこうえん>でした。辺りは青々とした草におおわれ、所々にたんぽぽの花や綿毛がみえました。
ホームに水道の蛇口があるようでした。「あらっ、家の庭にあった水道の蛇口と同じ!」
その庭にもう大学生になっていた下の弟が模型の線路をつなげ、車両を走らせていたことも思い出しました。
この回想は私の心にふわっと通り過ぎて行く事柄です。
でも、現実の生活に花を添えてくれる大事な事の一つにもなりました。
こがねいこうえん駅
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たんぽぽの綿毛
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前川國男邸、書斎の机に置いてあった電話、小型テレビ、時計。
これらは高度成長期に向かおうとしている、日本の家庭によく見られた物たちです。
でも今目にするとまるでアンティークのようではありませんか。
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# by michinobe8 | 2013-05-30 12:03 | 父の撮った写真 | Comments(0)

昭和27年〈1952年〉鏡里関のの思い出

今年の大相撲5月場所は昨日白鵬対稀勢の里で白熱しましたね。
今場所一番の見どころだったのではないでしょうか。
相撲と言えば今から61年前「鏡里が伯父ちゃんの家に来ているって!」という弟の興奮した声に驚きました。
どうして?などと思う余裕もなく伯父の家に飛んで行きました。
当時私の家は伯父の家の敷地内にありました。ですからすぐに飛び込んで行けたわけです。
おずおずと座敷に入って行きますと、すでにいとこや沢山の人たちが鏡里関の周りに集まっていました。
確かあの時、鏡里は大関だったと思います。そしてこの写真の翌年〈1953年〉 横綱になります。
野球と相撲は子供たちの間で圧倒的な人気の時代でした。特に男の子たちのファンは多かったですね。
弟はお相撲さんのメンコを大事に持っていました。
<気はやさしくて力持ち>という言葉を絵に画いたような鏡里関をこんなに近くで見ることが出来たなんて、
とにかく嬉しかったです!
父は写真を撮ることを頼まれていたのでしょう。今、2枚写真が残っています。
でも、私は父があの部屋に居たということすら思い出すことができません。可笑しいですね。
ところで、この集合写真はもう一つ<不思議>があるのです。
鏡里関の向かって右隣に座っているイケメンの男の子は・・役者さんの中村嘉津雄さんです。
それから後ろの方に抱かれている赤ちゃんは嘉津雄さんの甥であり歌舞伎役者の中村歌六さんなのです。
嘉津雄さんのお兄さんである中村錦之助さん〈後の萬屋錦之助〉はこの年に“ひよどり草紙”という映画で美空ひばりの相手役をやり、その後爆発的な人気俳優となって行ったのです。
このようなことが度々起こる伯父の家は、私から見れば面白い家でした。
嘉津雄さんといとこ達がチャンバラごっこをしますと、嘉津雄さんはあまりに立ち回り上手で、戦う相手が面白がって見物することになってしまっり・・大笑いでした。
1952年、当時 大関鏡里
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まもなく横綱となった鏡里関の周りに集まる子供たち
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2013年五月場所、白鵬対稀勢の里の熱戦をテレビ観戦
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私は今、両国〈国技館〉の辺りや隅田川の川筋を歩くのが好きです。
恐らくあの時の鏡里関の好印象が影響しているのかもしれません。
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2013年1月 両国橋近く
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2013年1月蔵前橋夕景
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# by michinobe8 | 2013-05-26 11:55 | 父の撮った写真 | Comments(3)

昭和35年〈1960年〉 美少女

戸棚の一番奥に気になっている箱が一つありました。それが何と50年近くも放ったままです。
箱の中にかの美少女は眠っていたというわけです。
昭和35年。あえて、昭和35年と申します。私は20歳でした。
そして<昭和35年の美少女>は16才。悪戯っぽく微笑んでいます。
我家で丁度遊びに来た彼女の記念写真を撮りました。
それ迄お茶目だった従妹が急に美しくなったと感じました。
それで私は決めました。しばらく写真のモデルになって貰いましょう!
昭和35年〈1960年〉美少女
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女性の友人5人を誘い、何度撮影会をしたかしら??
昭和37年〈1962年〉丸の内で撮影をしたことがありました。
それからしばらくして、新聞に彼女の写真が載っていました。丸の内で私が撮った写真です。
<準ミスエールフランス>に選ばれたという新聞の記事を読んで、とても嬉しくなつたことを覚えています。
昭和37年〈1962年〉丸の内にて
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丸の内にて
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昭和37年〈1962年〉丸の内・・準ミスエールフランスの写真
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その後彼女は、映画に<香山美子>と云う名前でデビューしました。
香山美子さんの趣味・油絵
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# by michinobe8 | 2013-05-23 00:00 | 1960年代の写真 | Comments(4)

Come,come,everybody

Come,come,everybody How do you do,and how are you?
Won't you have some candy One and two and three,four,five?
Let's all sing a happy song Sing tra la la la
戦後まもなく〈昭和21年〉<証城寺の狸囃子>曲にのって奇妙な歌がラジオから流れてきました。
平川唯一さんのラジオ講座「英会話の時間」です。
敗戦国などと子供の私たちは考えることもなく歌いました。
でもこのような歌詞だなんて、恥ずかしいことについ最近まで知りませんでした。
数年前でしたか、友人とこの歌の話になりました。
彼女はまことに正確な歌詞で歌ったので驚きました。
私は弟たちと、このような歌い方をしていたのですよ。
Let's all sing a happy song ・・・
→エストルヒンガ ハッピーショー チンタララッタター
言い訳ですけれど、家のラジオは雑音が入ってよく聞こえなかったからかもしれませんね??
昭和34年武蔵小金井
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昭和36年立川
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昭和36年立川
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みんな出て来い来い来い 信楽のたぬき
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# by michinobe8 | 2013-05-20 00:29 | 1960年代の写真 | Comments(0)

絵画館前での買い物

絵画館の広場でお店をひろげているおばさん。父は写真を撮りたいと思ったのでしょう。
そして、出来上がった写真がこのようになりました。
この写真は何のコンクールかわかりませんが賞を取ったようでした。
私が幼い時は戦争で、戦後間もなくは世の中が混乱していましたから、おやつのお菓子などは余りありませんでした。
この写真を撮る頃になりますと、かなり世の中も落ち着いてきたようです。
露店でおやつを買ったのはこの時が初めてで、何だか楽しい気持ちになったのを覚えています。
母が衛生上のことをいつも心配していたのですが、父はどうしてもこのような形で写真を撮りたかったに違いないと思います。
私は今になってそのことを思い、笑いが込みあげてくるのです。
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さて、いつの世も子供に人気のある駄菓子屋さん。
1970年代後半私の子供たちがよく行った駄菓子屋さんの店主はお婆さんで<ばあちゃん店>と呼んでいましたっけ。
それから、子供たちが成長して、私はカメラを持って街歩きをするようになりましたが、下町は矢張り駄菓子屋さんが元気がありました。
1970年代後半頃、駄菓子屋さん
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下町の駄菓子屋さん
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近年その駄菓子屋さんも様子が変化してきました。
店の前には<ジューススタンド>や<たばこ販売機>など商売を成り立たせるために苦心しているのでしょうね。
2013年佃島
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# by michinobe8 | 2013-05-16 16:08 | 父の撮った写真 | Comments(4)

ガード下の靴磨き

中学生になって〈1953年頃〉私は写真部に入りました。
池袋の街に出て写真を撮るということがあったのでしょうか。
記憶はないのですが、その写真だけが残っています。
池袋駅の西口から東口に抜けるガードが今でも存在しています。
そのガードの西口側の入り口は靴磨きの人たちがずらりと並んで商売をしていました。
ガードの下では傷痍軍人が負傷した姿でアコーディオンを鳴らし、唄を歌っていました。
特に「異国の丘」という唄が耳に残っています。
靴磨きをやっている人は今写真を見ると女性〈おばさん〉が多いですね。
最近この写真を見るまで私は子供が磨いていたような思い込みがありました。
これも、唄のせいかもしれません。
宮城まり子の「ガード下の靴磨き」という唄が流れていたことがありましたから。
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2009年:靴磨きの人達が働いていた同じ場所
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児童労働の禁止はいつ頃からだったでしょう。
私が高校の修学旅行に行ったときに京都の鴨川沿いで<新聞売りをしている子供>の写真を撮っています。
1958年:新聞売りの少年
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# by michinobe8 | 2013-05-12 23:03 | 私の撮った1950年 | Comments(2)

ステキなカフェきんもくせい

薔薇の花がお出迎えの階段を上り、ガラス戸を開けると「いらっしゃいませ!」と明るい声が響きます。
カフェ<きんもくせい>の若きマスター海人君です。
煮立った薬缶からネルドリップに注ぎ入れて今日のアイスコーヒーの準備をしているところでした。
コーヒーの香りがただよい、思わず遅めのブランチを注文しました。
”テラスで食べるのも好いわね。ハムエッグサンドと珈琲”
カフェ<きんもくせい>
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ネルドリップ
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メニュー
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カウンターのなか
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友達に借りた本<ミラノの太陽、シチリアの月>内田洋子〈小学館〉を読んでいますと、間もなくブランチがテーブルに置かれました。
早速頂きます。”あらっ!このバターはマーガリンではないわ。口のなかで、素敵な香り広がって幸せな気分!”

マスター・海人君のお父さんは珈琲をたてる事を長年、生業とされていた方です。
”息子さんもその珈琲に魅力を感じてしまったのでしょうね”と一人納得しながら、
本の続きを読んで・・ゆったりした気分の時を楽しみました。
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追伸・・カフェの前は秋になればきんもくせいの香る<千早フラワー公園です。

<カフェきんもくせい>
  〶171-0044 東京都豊島区千早1-6-9
☎ 03-3957-3927
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# by michinobe8 | 2013-05-11 22:54 | 平成・デジタルカメラ | Comments(0)

風で飛んだ帽子

風で吹き飛ばされた帽子の写真は弟のアルバムの中にありました。
私はこの写真が印象的に心の中に残っていました。、
弟の話によりますと、1953年銀座松屋の屋上で父は屋上の、そのまた高い所に上りこの写真を撮ったということでした。
母が「あぶない!」と降りて来るまで気をもんだそうです。
「それで、遊園地の飛行機とか乗った?」と聞きましたがそれは記憶にないそうです。
当時デパートの屋上は子供たちが喜びそうな場所でした。
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武蔵小金井にお家がある友達の家に遊びに行った時のことも思い出として強く残っています。
私たちは学校のある池袋近辺に住んでいましたから、
山手線と中央線を乗り継いで行く武蔵小金井はちょっとした旅でした。
小金井はあたりがとても広々していてトウモロコシ畑がありました。
友達のお母さんが「暑いからシュミーズで遊びなさい」と言って下さり、
歓声を上げすぐさまゴム飛びをやったように思います。
その後に食べたトウモロコシは格別美味しく感じました。
おともだち
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小学生だった私も高校生になり、両親が<終の棲家>と建てた家が武蔵小金井で、
私は友達の家の近くに引っ越して同じ高校の同じクラスになるとは
シュミーズ姿の時は思いもよらなかったことです。
1960年ころ武蔵小金井・原っぱで遊ぶこども
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# by michinobe8 | 2013-05-09 11:51 | 父の撮った写真 | Comments(6)

時は立夏 日は昼下がり

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好い日和だし、午後から近隣を散歩することにしました。
最寄りの駅である西武新宿線・下井草の駅を超えて荻窪方面に向かって気の向くままに歩きます。
妙正寺川に沿ってを歩きますと川の両岸を紐で渡して取り付けられた鯉のぼりが何匹も泳いでいました。
今日は<こどもの日>であり暦の上では立夏でした。
ところで、井伏鱒二の<荻窪風土記>をかなり以前に読んだ時に非常に印象的に記憶した事柄がありました。
荻窪に住んでいた土地っ子であり鳶の長老だった人の話では関東大震災前には品川の岸壁を出る汽船の汽笛の音が聞こえたというのです。
それが関東大震災後ぱったりと聞こえなくなったということなのでした。
今、妙正寺公園で耳を澄ましますと、チチチと鳴く鳥の声、子供たちの遊ぶ声、それに時々飛行機の飛ぶ音がしていました。
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とまれ!
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私の母の姉家族が以前善福寺の傍に住んでいました。
そしてそのころ小学生だった私は伯母の家に遊びに行くのがとても楽しみでした。
今でも、古い家や垣根を見つけることが出来ると思わず立ち止まってしまうのです。
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垣根
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# by michinobe8 | 2013-05-06 14:13 | 平成・デジタルカメラ | Comments(0)

女学生

女学生が<九段3丁目>で都電を待っているこの写真は私が50年ほど前に撮影したものです。
この写真を撮って翌年でしたか・・東京オリンピックが開催されました。
そして、都電は東京から姿を消して行きました。

昨日友人に誘われて九段下の昭和館に中原淳一の展覧会を観に行きました。
生誕100年・没後30周年記念の一環で<中原淳一の生きた戦中・戦後~少女像にこめた夢と憧れ>というものでした。
戦争中に女学生だった従姉たちは戦後、中原淳一の雑誌<ひまわり>を購読し、まだ小学生だった私は大人の本を見るような気持ちで読んだものでした。
会場の展示物を見て行くうちに私は中原淳一が国防色の服を着用している写真に目が止まりました。
静かな顔の写真でしたけれど、戦時下というものはファッションに敏感な人も無理矢理同じ国防色に塗られれてしまったわけですね。
そして、そのそばに当時の貼り紙が展示されていました。
<パーマネントをかけている人は町内に入ることをご遠慮ねがいます>

ところで、父が1950年代に銀座で撮った写真があります。
戦時下、もんぺ姿で過ごした女学生たち・・
彼女たちが少しゆとりが出てきたこの頃に<銀ブラ>をしている姿です。
なんて楽しそうなんでしょうね。
九段上・今から50年ほど前
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中原淳一展・九段下
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銀ブラをする女性たち<1950年代>
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# by michinobe8 | 2013-05-03 11:18 | 1960年代の写真 | Comments(4)

子供の情景・・秋川渓谷・・ここも東京

昭和25年頃かと思いますが、父は弟たちが遊んでいる姿を折があれば撮影していました。
今その頃の写真を見ますと、弟たちがキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくるようです。
戦後、社会が少しづつ落ち着きを取り戻し、あちこちでアマチュアカメラマンの撮影会が催されました。
そして、私たち家族はそれを口実によくピクニックに出かけたものでした。
そのなかで、とても楽しかったのは秋川渓谷の川遊びだったと思います。
昨日武蔵五日市に出かけました。
檜原街道をしばらく歩いて左に折れる坂道を下りて行きますと、そこには懐かしい川が流れていました。
秋川渓谷です。
折からゴールデンウイークでもあり、川原ではバーベキューで楽しんでいる人たちの姿も見受けられます。

河原には降りずに川に沿った道を歩き続けますと、時々土地の子供らしい数人が走り回っている姿を見つけました。
そうそう、あの頃の子供たちは何故か闇雲に走ったりしていたように思うのは私だけなのかな?
まだ水は冷たいでしょうに、川の浅瀬を歩いて渡っている女の子の姿に自分を重ねたりして
今日の散歩は<満足、満足>となりました。
昭和27年頃、朝の縄跳び
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走る少年たち<秋川>
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浅瀬を歩く少女<秋川>
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カラスノエンドウ
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新緑」<秋川渓谷>
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# by michinobe8 | 2013-04-29 22:15 | 父の撮った写真 | Comments(6)