あの町 この道

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新宿・角筈。防空壕

父の撮ったものの中にこの防空壕の写真はありました。
この写真の話を生前の父に聞くことはありませんでした。
今となっては残念なことです。
戦時中我家は新宿・角筈にありました。
今とは違い住宅街でこの防空壕は町会の人達が避難するためのものでした。
町会の人が集まり、地鎮祭をやっている様子も写っています。

何度か警戒警報と共にこの防空壕に避難した記憶はあります。
B29の飛行機らしい爆音が去ってしまうまで、皆静かにこの土手に横穴を掘った真っ暗な中に座っていたことをおもいだします。
3月10日の東京大空襲の時は下町方面の空が真っ赤で逆方向は真っ青だった、色彩ばかりが印象に残っています。
私は5歳でした。ですからその記憶は、自分の記憶と、大人たちの話が合わさったものなのかもしれませんが・・・
そしてその直後、父以外の私たち家族は栃木県、佐野に疎開しました。

汽車は非常に混んで貨車にしか乗ることは出来ませんでした。。
ガチャンと貨車の戸が閉まると中は真っ暗でした。
でも、防空壕のなかより、田舎に向かう貨車の方が私は何故か安心しました。

新宿の家は5月26日の空襲で全焼しました。
父が無事に佐野にやって来た時にはほっとした気持ちに包まれたことを思い出します。
防空壕
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防空壕の地鎮祭に集まる町会の人達
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# by michinobe8 | 2013-08-11 21:04 | 父の撮った写真 | Comments(2)

昭和20年8月15日終戦


これは終戦の年の冬撮ったものです。
私の家族と同じ所に疎開していた母の姉家族が、とに角皆死なずに終戦を迎えられたということで記念写真を撮りました。
戦争の最中は伯父は軍医でしたから高崎に。父は小西六写真工業の工場があった新宿に詰めていましたので、
つまり女子供が生活を共にしていたわけです。
疎開先は栃木県佐野でした。

向かって右の家族が私の家族ですが、前列右端の私の兄は翌年肺炎にかかり亡くなりました。
栄養状態も良くなかったでしょうし、薬も思うようには無かったので子供の死亡率は高かったのです。
終戦の日、伯母と母は部屋の電気を明るくつけて「今日から暗くなくて嬉しい」と喜んでいたのが印象的です。
私は毎晩、空襲警報で防空壕に逃げなくてもいいのかなと思ったりしていました。
1945年冬・終戦の年
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# by michinobe8 | 2013-08-07 23:21 | Comments(5)

浅草慕情

浅草仲見世
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伝法院通り
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蛇骨湯〈銭湯〉
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マルベル堂のブロマイド
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花やしき
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クラリネットを吹く人
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仲見世裏通り
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# by michinobe8 | 2013-08-02 16:32 | 平成・デジタルカメラ | Comments(1)

浴衣を着る日

今日は浴衣を着てどちらへお出かけ??
あぁ、幼稚園の盆踊りですか。
ステキな浴衣ね。おや、誰かさんが「僕も着たい!」ですって。
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ちーちゃんは赤い金魚の甚平さん。
お似合いね。
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夏も盛りになるとあちこちで盆踊りが始まります。
小さい子供たちも浴衣を着て踊りの輪に入っています。
夏の夜の盆踊りの思い出は提灯の灯の下でぼんやりと滲みます。
太鼓の音は家に帰っても、遠く響いてくるようです。
浅草・盆踊りの思い出
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3人の女の子
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# by michinobe8 | 2013-07-30 20:41 | 平成・デジタルカメラ | Comments(2)

都電荒川線

久し振りに都電荒川線に乗りました。
三ノ輪から乗る前に商店街を一回り。今日はとても蒸し暑い日。でも矢張り元気な商店街です。
魚屋さん。それから懐かしい昭和のパン屋さん。美味しそうですね。

さて、都電に乗りましょう。
平日の午後ですが意外と混んでいます。そして高齢者が多いですね。私もそのお仲間ですが。
そう云えばこの都電のディスプレイは<おじいちゃん!あばあちゃん!交通ルールを守りましょう>と派手に書いてありました。
そんなに守らないのかしら??
1 町屋にて
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魚屋さん
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昭和のパン
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梶原という駅で降りてみました。
又商店街を歩きましょう。
中々魅力的なお店を見つけました。
<都電最中>を売る和菓子屋さん、<ブリキの路面電車>と書かれたおもちゃ屋さん。
梶原駅
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おもちゃ屋さん
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駅の本屋さん
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王子の駅を出ると都電は急カーブで曲がります。
何だかステキな景色ですね。運転手さんもご自慢かもしれません。
王子駅のカーブ
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# by michinobe8 | 2013-07-26 23:06 | 平成・デジタルカメラ | Comments(7)

鎌倉へ

東京に住む私にとって、一番身近な<古都>と言えば鎌倉でしょう。
暑い最中ではありますが友人と鎌倉へ行ってみることにしました。

鶴岡八幡宮から由比ヶ浜の方へ真直ぐに伸びている若宮大路、段葛、静御前が舞ったと言われる舞殿。
鎌倉時代に思いを馳せる場所ですね。

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鶴岡八幡宮 本宮にて
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頼朝の墓所に登る石段。
近所の子供たちが賑やかに走ってやってきました。
石段を登る時に加わった大人の「ここは公園ではないからね」
という静かな声に、子供たちの足取りは急に神妙なものに変化しました。

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鎌倉幕府崩壊の最後の場所<東勝寺跡>はまさに”つわものどもの夢の跡”
草は生い茂り、その中に可憐な紫陽花の花が咲いていました。
蝉の声、時々の鶯の声も長閑で、当時の壮絶な戦いは嘘のように静まり返っています。

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鎌倉は又、小津安二郎の映画に出てくるような、どこか懐かしい雰囲気に包まれることがあります。
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かつてはモダンだったであろう写真館にも出会いました。
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# by michinobe8 | 2013-07-22 21:30 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

ヨット

1953年<夜のヨット>という題の父の作品が何のコンテストだったのでしょうか、賞をとったことがありました。
その為に興味深いデータが残っていました。
キャノン:セレナf/1.8 絞りF3.5 露出1/25 フイルム:ネオパンSS 
現像液:ハイドラム 現像時間:60分 印画紙:吉野2号 現像液:D-72 
フイルム現像に1時間かけたということです。通常は10分前後ですからヨットの画像を出すのにかなり長時間かけたことになりますね。
1953年 夜のヨット
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昨日友人の訃報が余りに静かに届き、自分の身の処し方に困りました。
彼女は湘南育ちで、ヨットの操縦もスクールで学んだりしていました。
1964年、私はその姿を撮影に行ったことがあります。
海は丁度無風で、御本人は苦笑いしながらモデル役を務めてくれました。
今この友人の写真を眺めながら、”灯篭流し”のような父の<夜のヨット>の写真画像が重なったり滲んだりして見えてくるのです。
1964年逗子にて
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1953年頃ヨット・風
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# by michinobe8 | 2013-07-17 11:15 | 父の撮った写真 | Comments(2)

カキ氷屋さん

暑い日のかき氷は好い景色です。それも、よしずの中で食べてみたい!
よしずの中のカキ氷屋さんは氷を何処で買って来るのでしょう。
氷屋さんに決まっているのですけれど、一般家庭では電気冷蔵庫で氷を作りますからね( ゚Д゚)
昔のように氷屋さんがリヤカーで氷を運んできて、のこぎりでシュシュと切ってくれたのを冷蔵庫に納めるのなら心配しないのです。
路上のお店ですと、アイスボックスでは足らなくなった時に〈氷はすぐに解けるでしょ。〉又買いに行かねばなりません。
2000年夏浅草で氷屋さんが昔ながらにリヤカーで運んでいるのを目撃した時には感動しました。
あれから13年経ちました。矢張りカキ氷のことは心配です。
2011年浅草
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4 2000年浅草
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# by michinobe8 | 2013-07-14 08:07 | 平成・デジタルカメラ | Comments(1)

夏の思い出・・メチャロール

連日の猛暑にぐったりしながら、この写真を見て思わず吹き出しました。
1949年千葉県の鵜原海岸で父の撮った写真<メチャロール>です。
父の造語で浮き輪をしながら滅茶苦茶に泳いでいるということでしょうか。
今の子供たちはスイミングスクールに通う子が多く、このような泳ぎ方はしないでしょうね。

でも、メチャロールの子供たちも2年後くらいには、この鵜原海岸で1km~3㎞の遠泳を泳ぎきるようになったのですよ。
これはたまたま子供たちの通った小学校の水泳教育の賜物だったわけなのですが。
つまり、学校教育だけでも、このくらいは泳げるようになるというお話なのです。
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1983年・千葉県坂田海岸です。
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メチャロールをやっていた子供たちもお父さんお母さんになり・・その子供たちがいとこ同士で海水浴に行き・・
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夕方の海岸を散歩しています。
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遠く館山海岸の花火がみえます。
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# by michinobe8 | 2013-07-10 21:41 | 父の撮った写真 | Comments(6)

隅田川光景・・白髭防災団地

先日新しく隅田川に掛かった千住汐入大橋から<白髭団地>を初めて眺めました。
高さ約40m、全18棟が横に約1km並ぶ都内唯一の防災団地なのです。
思わず「凄いなぁ!」と声に出してしまいました。

隅田川は大都会のなかを流れる川です。
遠い昔からこの川はどのような事柄の数々を眺めながら流れてきたことでしょう。
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古くからある造船所
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私は今年の春先に隅田川でも河口に近いところ、永代橋にも行ってみました。
永代橋は江戸時代見晴らしの良い場所であったと記録に<西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総・・「武江図説」>あるそうです。
けれども橋の上からは富士も筑波も見えませんでした。
でも、そこには高層ビル群が水の上に浮かぶように建ち並び、妙に感動しました。
大都会の、人間が作った美しさです。
東日本大震災の後、改めて大自然の猛威をそれから人災を、見せつけられている日々です。
大自然と人間の挑戦がバランスよく調和して行くことを・・願わずにはいられません。
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隅田川に流れ込む支流・大横川に掛かる春海橋。支流の風景は路地のような雰囲気があります。
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# by michinobe8 | 2013-07-06 09:15 | 平成・デジタルカメラ | Comments(2)

鐘ヶ淵 夕暮れ時

鐘ヶ淵駅は東武伊勢崎線の浅草から4つ目、とうきょうスカイツリー駅から3つ目になります。
街の西は隅田川、東は荒川が流れている<川の街>ですね。

戦後、町工場が沢山あった影響で20数件の理容室が今でも営業を続けているということです。
と、云う風に何故か懐かしい雰囲気が残っているんです。
夕方に歩いていると、家々から生活の音が聞こえてきて<鐘ヶ淵は夕暮れ時が似合う街だ>とおもったりします。

それに、池波正太郎の<剣客商売>秋山小兵衛がお春と住まうところでもあったのですから、侮れませんね。
居酒屋が賑いを見せる
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カラフルな八百屋さん
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下校途中の子供たち
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銭湯へ行く
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理髪店
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夕方の月
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# by michinobe8 | 2013-07-03 12:05 | 平成・デジタルカメラ | Comments(5)

イメージ写真

1965年頃友人に無理矢理たのんでモデルになってもらいイメージ写真を撮りました。
何のイメージか失念しましたが。
撮影は夜、場所は新宿、それも裏通りです。はて??
夜の 新宿 裏通り 肩を寄せ合う通り雨・・八代亜紀<なみだ恋>という唄がありますね。
でも、<なみだ恋>という唄がヒットしたのは1973年だそうで、この写真はそれよりも8年近く前に撮影しています。
若い頃、何を考えながら撮影したのか・・今は、はっきり覚えていないのに
思わず笑える写真となって現れたのには参りました〈笑)
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この写真は銀座でモデル撮影をしていますが、フラメンコのイメージばかりが優先しているのは何故かしら?
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モデルは香山美子さんで、場所は調布の深大寺です。土木作業をしている所での撮影は私が決めたわけで・・。
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同じく香山さんがモデルの写真ですが、私はこのイメージは何であったのか覚えていません。
それで、当時の写真の<はやり>だった雰囲気にしてみました。

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上野・都美術館で派手に撮影してほしいと友人が頼まれたそうで、私も撮影に参加してみました。
まだ有名ではなかったネオダダイズム画家・篠原有司男さんの撮影だったのです。
当時は珍しいモヒカン刈りの篠原さんに驚きつつ、私の撮った写真です。
アンデパンダン展と同時開催していた華道の展覧会に来場した和服の女性たち。
今見てみると篠原さんとは面白い取り合わせかもしれないと手を加えてみました。

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# by michinobe8 | 2013-06-28 21:14 | 1960年代の写真 | Comments(2)

雨の遊行寺

今日のお天気は一日雨と聞いてはいましたが、友人と藤沢の遊行寺に行きました。
池袋から湘南ライナーに乗れば藤沢まで一本で便利になりました。
遊行上人〈宗祖は一遍上人〉で有名なお寺・遊行寺は雨が降ってしっとりと静かでした。

ネジバナに止まったモンシロチョウが動きません。
私たちも長いこと佇んでおりました。

それでも雨は止みそうにないので・・本堂でお参りして帰りましょう。
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遊行寺・雨・アジサイ
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ネジバナにとまるモンシロチョウ
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東京に戻っても雨は降り続けました。
バスの窓から眺めた雨に煙る練馬の街も、いつもとは違った風情があります。
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# by michinobe8 | 2013-06-26 22:26 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

雨が止むと・・

雨が止めば、庭の水瓶にでんでんむしが水を飲みに来る
水玉が光る
クチナシの花も満開をやや過ぎて・・
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「千葉のおじいちゃんの帽子にかえるが止まっているよ!」と孫から写メールが送られてくる。
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東京・下町を歩けば行儀良く傘や洗濯物が干してある
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東京でも郊外の若い人が多く住む街は洗濯物の干し方もワイルドだ
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# by michinobe8 | 2013-06-23 08:18 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

ダンス、そして映画

1950年代、父の撮った写真の中に3枚のダンスの写真がありました。
一枚は高原でのフォークダンス。
後の2枚は<夏の夜のダンスパーティー>という題名と撮影データが書いてありました。 
この2枚の写真は見た覚えがあって、子供心に今の言葉で言えば「ダサいなぁ!」とおもっていました。
何故かと申しますと、私のダンスのイメージはアメリカ映画・<風と共に去りぬ>や<若草物語>
ですからね。
でも今改めてこれらの写真を見ますと、皆真剣な顔をしてよほど楽しかったに違いありませんね。
父の勤めていた会社は〈小西六・現在のコニカミノルタ〉は、あの頃ダンスが盛んだったのでしょう。。
そのころ会社があった場所〈現在新宿・都庁の付近〉がパーティー会場だったと聞いた記憶がかすかに残っています。
父は戦前ダンスを習ったのでしょうか。従姉たちに家でダンスのステップを教えていたことを思い出します。
1950年代 夏の夜に踊る
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1950年代夏の夜のダンスパーティー
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高原でフォークダンス
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3年ほど前に私は<映画の看板の町・青梅>に行きました。
メインストリートのお店には私たちの年代がリアルタイムで見た看板たちが競って見られるのでした。
全てが今のシネコンなどで見るものとは大分違うようです。
でも確かにあの時代の映画館はこの看板でした。そして今よりもかなりの熱気があったように思います。
青梅に行った日は急にスコールのような雨が降りだして、映画<哀愁>の看板を見ながら雨宿りをしたのでした。
<哀愁>の映画ではロバート・テーラーとビビアン・リーの印象深いダンスの名場面があったことも忘れえぬことです。
2010年夏 映画の看板の町・青梅
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突然の夕立
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# by michinobe8 | 2013-06-21 10:53 | 父の撮った写真 | Comments(0)

1961年水上小学校・・ソラリゼーション

1961年ころ私たちは〈学生時代〉水上小学校の子供たちの生活を撮影していました。
場所は勝鬨橋を渡った所にあったと記憶します。
そのころは艀〈はしけ〉と呼ぶ運搬船や、木材輸送の筏〈いかだ〉が行き来して舟運が盛んでしたから、
それらの仕事をする水上生活者の子供たちは水上小学校に寄宿してお休みには舟に戻るという生活をしていました。

その時の写真はリーダーだった友人がピックアップして保管している筈??なのですが、あれから何年たったでしょうね〈笑〉

私はこの撮影でとんでもない失敗をしました。
撮影したフイルムを現像している最中に、青ランプと普通の電球と間違えて点けてしまったのです。
慌てて消しましたけれど・・出来上がったのはソラリゼーションという手法の写真になってしまいました。
それで、この写真は失敗として段ボールの中に放り込まれていたというわけです。
水上小学校は1966年廃校になったということです。
あの時の子供たちはもはや中年でしょう。お父さんやお母さんになっているのでしょうね。
そして散髪をしているお兄さんやお姉さんの優しそうなこと!
1961年頃水上小学校・散髪の日
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散髪の日2
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散髪の日3
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散髪の日4
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散髪の日5
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2013年勝鬨橋より隅田川を臨む
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# by michinobe8 | 2013-06-17 23:24 | 1960年代の写真 | Comments(0)

銀座4丁目

銀座4丁目の辺りを歩きますとこの頃決まって思い出す光景があります。
この交差点に交通整理のお巡りさんがいたことです。
そしてもっとおぼろげな記憶ではMPが交通整理をしていたことも。
映画俳優のタイロン・パワーがMPの時に此処銀座4丁目で交通整理をしていたことがあるという話は聞いたことがありますけれど・・

私は学生時代に西銀座デパートを歩いていた時
すれ違いざまにぶつかりそうになった外国人がアラン・ドロンだったという嘘のような本当の話があるのですよ。
1985年銀座4丁目
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1950年代父の撮った銀座4丁目夜景
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2012年銀座
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# by michinobe8 | 2013-06-14 22:17 | ’70年~’90年代の写真 | Comments(6)

楽しみな雑誌、愉快な漫画

1952年頃の弟たちの写真は一体何を見て笑っているのでしょう。
もちろん父が撮った写真ですが、恐らく少年雑誌のマンガでしょうね。
後ろの黒板にマンガの絵が画いてありますが、何のマンガでしょうか??
このころ私は〈小学6年生〉講談社の<少女クラブ>を購読していました。
<リボンの騎士>がステキでした。光文社<少女>の人気者は<あんみつ姫>。
友達と雑誌を交換して読みました。
上の弟が購読していた<少年>には<鉄腕アトム>が載っていて、これを読むのも楽しみの一つでした。
さて、1970年~’80年頃は私の子供たちの時代になります。
<少女クラブ>は<なかよし>となり内容は少女小説などからマンガ中心に変化して行きました。
マンガについては私は多くを知りません。詳しい人は沢山いますね〈笑〉
でも、子供たちの多くに支持され、絶大な人気者になったのは<ドラえもん>ではないでしょうか!
1952年雑誌を読む兄弟
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1978年なかよし
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1979年本屋さん
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1979年買う本が決まりました。
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1981年のび太くんスタイルで<ドラえもん>のマンガを読んでいます。
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2009年ノのび太くん
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# by michinobe8 | 2013-06-10 14:28 | 父の撮った写真 | Comments(0)

出前

1960年頃、モノクロ写真を撮るのが主流だった頃のこの写真は湯島で撮ったものです。
子供たちが路地で遊んでいる姿を何気なく追っていました。
今改めて見ますと、蕎麦の出前の自転車が通り過ぎています。
あの頃は特に珍しい姿ではなかったので気がつかなかったのでしょうか。
昨今は<出前>という言葉も使わなくなってきましたね。
<ピザの宅配>が流行る頃からでしょうか<デリバリー>という言葉の方があっているようにも思えます。
でも、下町を歩くと<出前>という言葉がぴったりくるような光景に出合い、ちょっと嬉しくなったりするのです。
1965年 湯島
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1997年頃 浅草
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2012年頃 浅草
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2013年 青物横丁
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2013年北品川
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# by michinobe8 | 2013-06-07 21:05 | 1960年代の写真 | Comments(2)

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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# by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)