あの町 この道

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通り雨(赤門で雨宿りする情景)

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大江戸線<本郷三丁目>のホームから長いエスカレーターを乗り継いで地上に出ましたら土砂降りの雨で驚きました。
でも、空は明るいし、ふっと、戯れに<東大・赤門辺りの雨>を思い巡らすこととなりました。
後になって調べたものですが、
赤門は1827年、12代加賀藩主・前田斉泰が、11代将軍・徳川家斉の第21女である<溶姫>を
正妻として迎える際に造られたということでして、その話に思わず鼻白む思いがしないではないのですけれど。
それにしても、雨の降りしきる赤門はあたかも時代をタイムスリップできるような気分にさせられたものです。

少しだけ本郷通を先に進みますと正門があり、丁度雨もあがったようです。
正門の扉中央に見える透かし彫り細工は、(思わずに菊のご紋ではないかと思ってしまったのですが)
朝日を表しているそうで、それも、端雲(めでたいことの前兆に現れる雲)の間から登る様子なのだそうです。
なるほど!
正門より真直ぐの銀杏並木の先には、かの安田講堂が何ごともなかったかのように建っているのが見えました。
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by michinobe8 | 2015-07-31 21:06 | 2015年デジタル写真 | Comments(2)

隅田川テラスギャラリー・花火のことなど

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両国橋から蔵前橋のあたりまでの隅田川防潮堤には、様々な錦絵が飾られています。
今の季節は何といっても<両国の花火>でしょう。
防潮堤は夏の陽射しが強くて散歩というのは一寸辛いものがありますけれど、
それを差し引いても中々魅力的です。
川の方に目をやれば様々な船がひっきりなしに行き交っています。
あっ、水上バス<竜馬>が通り過ぎます。
<竜馬>という名前は東京に関した偉人シリーズの第一号なのだそうです。
ちなみに偉人シリーズで付いた名前ですけれど<海舟><道灌>ですって。
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話をテラスギャラリーに戻しましょう。
江戸から明治、昭和にかけての錦絵や版画などがこのテラスに飾ってあるのは興味深い事です。
その中で、私が最も心に残った絵はあの有名な歌川広重の<名所江戸百景・両国の花火>です。
この絵は本などで度々観てはいましたが、この季節、両国で観たということでしょうか、印象が強烈でした。
橋を渡っている人たちは影絵のようで、浮かんでいる船はささやかな灯をともしています。
そしてドーンと一つ打ち上げられた花火が丸く広がっています。
今とは比べ物にならないほど、闇の存在が大きいのです。
戦後70年。終戦の年、私はとても幼かったものですから、大人たちが何故ラジオの前で正座しているのか理解出来ませんでしたが、
夜になって、電気を点けた時に「あぁ、明るい」と嬉しそうな顔をした母の顔は忘れられません。
戦時中は灯火管制がしかれていましたからね。
つまり、明るいという事はとても嬉しいことなのです。
というわけで、夜道が明るいことは歓迎しているのですけれど、
広重の絵に見るあのほの暗さ、影絵がこんなに美しく思えるのはどうしてでしょうね。
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明治42年の石版画。手前の棒杭は<百本杭>と言って、かつて両国橋の辺りは川が湾曲していて
流れが勢いを増し、川岸が浸食されるのを防ぐ為に杭がうたれました。
その杭がテラスに再現されています。
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昭和10年の版画。絵の中央に両国橋が見えます。関東大震災、復興で架けられた橋です。
現在の橋はこの橋だということです。
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by michinobe8 | 2015-07-25 23:35 | 2015年デジタル写真 | Comments(0)

柳橋

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柳橋は神田川が隅田川に流れ出て合流する地点にかかってる橋です。
そしてかつては有名な花街があった場所でもあるのです。
両国橋から柳橋を眺めますと多くの屋形船が繋留されています。
つまり、昔が偲ばれる風景です
柳橋の橋の袂には正岡子規の句が刻まれています。
  贅沢な人の涼みや柳橋
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さて、両国橋から再び柳橋を眺めますと、神田川をタグボートに引っ張られて船がやってきました。
何を積んでいるのでしょう?
船体の横には<東京23区清掃事業・一般廃棄物運搬船>と書いてあります。
成程、神田川には<三崎町中継所>と云う所があって文京区、千代田区の不燃ごみを積み
神田川から隅田川に出て、東京湾内の<中間処理場>に行くそうなのです。
そして最終的には埋立地に向かうというわけです。
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隅田川が大通りとすれば神田川は路地のように見えます。
その路地の辺りで、こどもたちが遊んでいる姿はまことに好い景色だと私は思うのです。
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by michinobe8 | 2015-07-16 22:09 | 2015年デジタル写真 | Comments(2)

夏衣(なつぎぬ)・浅草、酸漿市の頃

柳橋の袂
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この時期、下町を歩いていますと、窓下に朝顔の鉢があったり、
軒先にほおずきの篭が掛けてあったりして、風鈴が少しばかりの風で、
チリチリと鳴って「夏だなぁ」と思う事があったのは何時のことだったのか・・
そのようなことを考えながら<柳橋>付近を歩いていましたら、橋の袂の小松屋さん(つくだ煮屋さん〉に
朝顔の鉢とほおずきの篭が何気なくあったのは嬉しいことでした。

ほおずき市の頃は浴衣など夏衣を涼しげに着ている人を見かけると嬉しい気持ちがまた一つ増えました。
近年の印象的だった夏衣のことを思い出しながら
隅田川を両国からさかのぼり、猛暑の浅草にたどり着きました、
今年の四万六千日は<思い>は涼やかでしたが、まことに暑い一日となりました。
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by michinobe8 | 2015-07-12 11:33 | 2015年デジタル写真 | Comments(2)

雨上がりの時に

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台風が3つも近づいているという予報を聞いて、雨模様の天気は仕方ないのかと思いつつ、
少しでも空が明るくなれば、近くの公園に行ってみたりいたします。
子供たちはもっと早くやって来たのでしょう。
池のようになった水たまりの中に女の子が2人、自転車ごと飛び込んで行ってはキャッキャッと笑い声を立てているのです。
その昔私もやったことがあったような・・いいえ、水たまりが泥んこで哀れな姿になりました。
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茂ったハコネウツギの枝に水玉が綺麗に光っています。
あらっ!アリが一匹。アリの身体は濡れていません。水は弾くのかしら?
苦もなく前へ進むのは手足に吸盤でも付いているのかな?。
「クロオオアリは1分間に大よそ4m位歩く」と児童書で読んだ記憶があります。
確か、加古里子さんの<宇宙>という本でした。
私はこんなに滑りそうな所は歩きません。というより歩けません。
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by michinobe8 | 2015-07-08 22:37 | 2015年デジタル写真 | Comments(0)

<神宮前>という町名

唐突ですが、渋谷区<神宮前>という町名は1950年代の頃は無かったように記憶します。
子供の頃、休みになると遊びに行った伯母の家は
渋谷駅から都電に乗って青山5丁目で下車した所でしたが、住所は渋谷区原宿だったと思うのです。

家にある1950年頃の東京の地図を開いてみました。
<神宮前>の<神宮>とは<明治神宮>のことですが、ついでにその辺りの町名を眺めていて驚きました。
現在は明治神宮の森は<代々木神園町>となっていますが、
私が見た1950年頃の地図には明治神宮は<代々木外輪町>とあり
<ワシントンハイツ>の敷地が<神園町>となっっているのです。
(ワシントンハイツは現在、代々木公園や、国立競技場、NHK放送センター、オリンピック記念青少年総合センターなどがある広大な場所です)
そして<ワシントンハイツ>とは、第2次世界大戦敗戦後接収され、アメリカ軍の兵舎、家族用居住地となった土地です。
それにしても、町名から歴史のパンドラの箱を開いたような気持ちになりました。
久し振りに歩いた神宮前の辺り。様変わりした町は不思議な迷路のようで彷徨った次第です。
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by michinobe8 | 2015-07-02 22:44 | 2015年デジタル写真 | Comments(2)