あの町 この道

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イメージ写真

1965年頃友人に無理矢理たのんでモデルになってもらいイメージ写真を撮りました。
何のイメージか失念しましたが。
撮影は夜、場所は新宿、それも裏通りです。はて??
夜の 新宿 裏通り 肩を寄せ合う通り雨・・八代亜紀<なみだ恋>という唄がありますね。
でも、<なみだ恋>という唄がヒットしたのは1973年だそうで、この写真はそれよりも8年近く前に撮影しています。
若い頃、何を考えながら撮影したのか・・今は、はっきり覚えていないのに
思わず笑える写真となって現れたのには参りました〈笑)
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この写真は銀座でモデル撮影をしていますが、フラメンコのイメージばかりが優先しているのは何故かしら?
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モデルは香山美子さんで、場所は調布の深大寺です。土木作業をしている所での撮影は私が決めたわけで・・。
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同じく香山さんがモデルの写真ですが、私はこのイメージは何であったのか覚えていません。
それで、当時の写真の<はやり>だった雰囲気にしてみました。

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上野・都美術館で派手に撮影してほしいと友人が頼まれたそうで、私も撮影に参加してみました。
まだ有名ではなかったネオダダイズム画家・篠原有司男さんの撮影だったのです。
当時は珍しいモヒカン刈りの篠原さんに驚きつつ、私の撮った写真です。
アンデパンダン展と同時開催していた華道の展覧会に来場した和服の女性たち。
今見てみると篠原さんとは面白い取り合わせかもしれないと手を加えてみました。

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by michinobe8 | 2013-06-28 21:14 | 1960年代の写真 | Comments(2)

雨の遊行寺

今日のお天気は一日雨と聞いてはいましたが、友人と藤沢の遊行寺に行きました。
池袋から湘南ライナーに乗れば藤沢まで一本で便利になりました。
遊行上人〈宗祖は一遍上人〉で有名なお寺・遊行寺は雨が降ってしっとりと静かでした。

ネジバナに止まったモンシロチョウが動きません。
私たちも長いこと佇んでおりました。

それでも雨は止みそうにないので・・本堂でお参りして帰りましょう。
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遊行寺・雨・アジサイ
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ネジバナにとまるモンシロチョウ
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東京に戻っても雨は降り続けました。
バスの窓から眺めた雨に煙る練馬の街も、いつもとは違った風情があります。
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by michinobe8 | 2013-06-26 22:26 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

雨が止むと・・

雨が止めば、庭の水瓶にでんでんむしが水を飲みに来る
水玉が光る
クチナシの花も満開をやや過ぎて・・
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「千葉のおじいちゃんの帽子にかえるが止まっているよ!」と孫から写メールが送られてくる。
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東京・下町を歩けば行儀良く傘や洗濯物が干してある
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東京でも郊外の若い人が多く住む街は洗濯物の干し方もワイルドだ
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by michinobe8 | 2013-06-23 08:18 | 平成・デジタルカメラ | Comments(4)

ダンス、そして映画

1950年代、父の撮った写真の中に3枚のダンスの写真がありました。
一枚は高原でのフォークダンス。
後の2枚は<夏の夜のダンスパーティー>という題名と撮影データが書いてありました。 
この2枚の写真は見た覚えがあって、子供心に今の言葉で言えば「ダサいなぁ!」とおもっていました。
何故かと申しますと、私のダンスのイメージはアメリカ映画・<風と共に去りぬ>や<若草物語>
ですからね。
でも今改めてこれらの写真を見ますと、皆真剣な顔をしてよほど楽しかったに違いありませんね。
父の勤めていた会社は〈小西六・現在のコニカミノルタ〉は、あの頃ダンスが盛んだったのでしょう。。
そのころ会社があった場所〈現在新宿・都庁の付近〉がパーティー会場だったと聞いた記憶がかすかに残っています。
父は戦前ダンスを習ったのでしょうか。従姉たちに家でダンスのステップを教えていたことを思い出します。
1950年代 夏の夜に踊る
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1950年代夏の夜のダンスパーティー
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高原でフォークダンス
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3年ほど前に私は<映画の看板の町・青梅>に行きました。
メインストリートのお店には私たちの年代がリアルタイムで見た看板たちが競って見られるのでした。
全てが今のシネコンなどで見るものとは大分違うようです。
でも確かにあの時代の映画館はこの看板でした。そして今よりもかなりの熱気があったように思います。
青梅に行った日は急にスコールのような雨が降りだして、映画<哀愁>の看板を見ながら雨宿りをしたのでした。
<哀愁>の映画ではロバート・テーラーとビビアン・リーの印象深いダンスの名場面があったことも忘れえぬことです。
2010年夏 映画の看板の町・青梅
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突然の夕立
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by michinobe8 | 2013-06-21 10:53 | 父の撮った写真 | Comments(0)

1961年水上小学校・・ソラリゼーション

1961年ころ私たちは〈学生時代〉水上小学校の子供たちの生活を撮影していました。
場所は勝鬨橋を渡った所にあったと記憶します。
そのころは艀〈はしけ〉と呼ぶ運搬船や、木材輸送の筏〈いかだ〉が行き来して舟運が盛んでしたから、
それらの仕事をする水上生活者の子供たちは水上小学校に寄宿してお休みには舟に戻るという生活をしていました。

その時の写真はリーダーだった友人がピックアップして保管している筈??なのですが、あれから何年たったでしょうね〈笑〉

私はこの撮影でとんでもない失敗をしました。
撮影したフイルムを現像している最中に、青ランプと普通の電球と間違えて点けてしまったのです。
慌てて消しましたけれど・・出来上がったのはソラリゼーションという手法の写真になってしまいました。
それで、この写真は失敗として段ボールの中に放り込まれていたというわけです。
水上小学校は1966年廃校になったということです。
あの時の子供たちはもはや中年でしょう。お父さんやお母さんになっているのでしょうね。
そして散髪をしているお兄さんやお姉さんの優しそうなこと!
1961年頃水上小学校・散髪の日
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散髪の日2
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散髪の日3
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散髪の日4
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散髪の日5
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2013年勝鬨橋より隅田川を臨む
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by michinobe8 | 2013-06-17 23:24 | 1960年代の写真 | Comments(0)

銀座4丁目

銀座4丁目の辺りを歩きますとこの頃決まって思い出す光景があります。
この交差点に交通整理のお巡りさんがいたことです。
そしてもっとおぼろげな記憶ではMPが交通整理をしていたことも。
映画俳優のタイロン・パワーがMPの時に此処銀座4丁目で交通整理をしていたことがあるという話は聞いたことがありますけれど・・

私は学生時代に西銀座デパートを歩いていた時
すれ違いざまにぶつかりそうになった外国人がアラン・ドロンだったという嘘のような本当の話があるのですよ。
1985年銀座4丁目
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1950年代父の撮った銀座4丁目夜景
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2012年銀座
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by michinobe8 | 2013-06-14 22:17 | ’70年~’90年代の写真 | Comments(6)

楽しみな雑誌、愉快な漫画

1952年頃の弟たちの写真は一体何を見て笑っているのでしょう。
もちろん父が撮った写真ですが、恐らく少年雑誌のマンガでしょうね。
後ろの黒板にマンガの絵が画いてありますが、何のマンガでしょうか??
このころ私は〈小学6年生〉講談社の<少女クラブ>を購読していました。
<リボンの騎士>がステキでした。光文社<少女>の人気者は<あんみつ姫>。
友達と雑誌を交換して読みました。
上の弟が購読していた<少年>には<鉄腕アトム>が載っていて、これを読むのも楽しみの一つでした。
さて、1970年~’80年頃は私の子供たちの時代になります。
<少女クラブ>は<なかよし>となり内容は少女小説などからマンガ中心に変化して行きました。
マンガについては私は多くを知りません。詳しい人は沢山いますね〈笑〉
でも、子供たちの多くに支持され、絶大な人気者になったのは<ドラえもん>ではないでしょうか!
1952年雑誌を読む兄弟
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1978年なかよし
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1979年本屋さん
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1979年買う本が決まりました。
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1981年のび太くんスタイルで<ドラえもん>のマンガを読んでいます。
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2009年ノのび太くん
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by michinobe8 | 2013-06-10 14:28 | 父の撮った写真 | Comments(0)

出前

1960年頃、モノクロ写真を撮るのが主流だった頃のこの写真は湯島で撮ったものです。
子供たちが路地で遊んでいる姿を何気なく追っていました。
今改めて見ますと、蕎麦の出前の自転車が通り過ぎています。
あの頃は特に珍しい姿ではなかったので気がつかなかったのでしょうか。
昨今は<出前>という言葉も使わなくなってきましたね。
<ピザの宅配>が流行る頃からでしょうか<デリバリー>という言葉の方があっているようにも思えます。
でも、下町を歩くと<出前>という言葉がぴったりくるような光景に出合い、ちょっと嬉しくなったりするのです。
1965年 湯島
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1997年頃 浅草
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2012年頃 浅草
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2013年 青物横丁
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2013年北品川
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by michinobe8 | 2013-06-07 21:05 | 1960年代の写真 | Comments(2)

昭和38年<目撃者>

昭和38年〈1963年〉12月発行の週刊誌<週刊文春>を父の写真一式が入っている段ボール箱の中から見つけた時に「おやっ!?」と思いました。
父の写真が週刊誌に掲載されたということだけは覚えているのですが、その他の細かことは記憶にないのです。
今週刊誌を見るという事で成程と思っているのですから、当時の私は自分の事柄ばかりを思って暮らしていたのかと改めて呆れました。

<週刊文春>で、毎週「目撃者」写真作品募集をしていたようでした。
この写真はグラビア見開きで300字の説明を添えることになっているというものです。
「北京見本市」という題で日本工業展覧会の開幕初日であること、どっと押し寄せた参観者で会場はたちまち立錐の余地も無くなり早速札止めになったこと、
国際事情とは関係なく国民の関心度の高さに驚きを感じたことなどが記されてありました。
確かに戦後日中国交正常化は昭和47年〈1972年〉ですから、お国どうしの事情と国民の関心とは違う事を写真は見事に語っていますね。
あぁ、それからこの作品の賞金は5万円でした。と、週刊誌に記載されてありました。
当時の大卒初任給が1万6千円位だそうです。
そのころ<所得倍増>と言われ始めたころでしたから、今から考えますと夢のまた夢のような時代だったのかもしれません。
昭和38年北京見本市
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この中国行以前、父は昭和35年に仕事で初めて渡米しました。
その時私が撮った写真が数枚残っています。
羽田空港での見送りは会社の人達、家族が集まって大変なイベントのようでした。
会社の人たちが万歳三唱をして見送りをするということは当時様々な場所で見ることが出来たようには思いますけれどね。
家族の見送り
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会社の人達と
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羽田発ホノルル経由サンフランシスコ行きはプロペラ機でした。
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by michinobe8 | 2013-06-02 15:12 | 父の撮った写真 | Comments(2)