あの町 この道

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<   2013年 05月 ( 10 )   > この月の画像一覧

兄、弟

弟たちのこの写真〈父、撮影〉を今見ると、思わず笑ってしまいます。
<坊ちゃん刈り>の頭はまさに昭和20年代のカットですね。
漫画≪サザエさん≫に出てくるような男の子のヘアスタイルというわけです。
服装も、三輪車も、それに下駄を履いています。
このお兄ちゃんはきっと弟思いですね。いやはや、本当にそうでした。
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先日また小金井公園の<江戸東京たてもの園>に行ってきました。
今回は<前川國男邸>をゆっくり見ましょうと娘と出かけたのです。
その帰り道、公園の出口付近に蒸気機関車が停車している駅を見つけました。
もちろん、公園の展示物ではありましたけれど、私にはまるで本当に田舎の駅に見えたのです。
駅の名前は<こがねいこうえん>でした。辺りは青々とした草におおわれ、所々にたんぽぽの花や綿毛がみえました。
ホームに水道の蛇口があるようでした。「あらっ、家の庭にあった水道の蛇口と同じ!」
その庭にもう大学生になっていた下の弟が模型の線路をつなげ、車両を走らせていたことも思い出しました。
この回想は私の心にふわっと通り過ぎて行く事柄です。
でも、現実の生活に花を添えてくれる大事な事の一つにもなりました。
こがねいこうえん駅
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たんぽぽの綿毛
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前川國男邸、書斎の机に置いてあった電話、小型テレビ、時計。
これらは高度成長期に向かおうとしている、日本の家庭によく見られた物たちです。
でも今目にするとまるでアンティークのようではありませんか。
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by michinobe8 | 2013-05-30 12:03 | 父の撮った写真 | Comments(0)

昭和27年〈1952年〉鏡里関のの思い出

今年の大相撲5月場所は昨日白鵬対稀勢の里で白熱しましたね。
今場所一番の見どころだったのではないでしょうか。
相撲と言えば今から61年前「鏡里が伯父ちゃんの家に来ているって!」という弟の興奮した声に驚きました。
どうして?などと思う余裕もなく伯父の家に飛んで行きました。
当時私の家は伯父の家の敷地内にありました。ですからすぐに飛び込んで行けたわけです。
おずおずと座敷に入って行きますと、すでにいとこや沢山の人たちが鏡里関の周りに集まっていました。
確かあの時、鏡里は大関だったと思います。そしてこの写真の翌年〈1953年〉 横綱になります。
野球と相撲は子供たちの間で圧倒的な人気の時代でした。特に男の子たちのファンは多かったですね。
弟はお相撲さんのメンコを大事に持っていました。
<気はやさしくて力持ち>という言葉を絵に画いたような鏡里関をこんなに近くで見ることが出来たなんて、
とにかく嬉しかったです!
父は写真を撮ることを頼まれていたのでしょう。今、2枚写真が残っています。
でも、私は父があの部屋に居たということすら思い出すことができません。可笑しいですね。
ところで、この集合写真はもう一つ<不思議>があるのです。
鏡里関の向かって右隣に座っているイケメンの男の子は・・役者さんの中村嘉津雄さんです。
それから後ろの方に抱かれている赤ちゃんは嘉津雄さんの甥であり歌舞伎役者の中村歌六さんなのです。
嘉津雄さんのお兄さんである中村錦之助さん〈後の萬屋錦之助〉はこの年に“ひよどり草紙”という映画で美空ひばりの相手役をやり、その後爆発的な人気俳優となって行ったのです。
このようなことが度々起こる伯父の家は、私から見れば面白い家でした。
嘉津雄さんといとこ達がチャンバラごっこをしますと、嘉津雄さんはあまりに立ち回り上手で、戦う相手が面白がって見物することになってしまっり・・大笑いでした。
1952年、当時 大関鏡里
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まもなく横綱となった鏡里関の周りに集まる子供たち
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2013年五月場所、白鵬対稀勢の里の熱戦をテレビ観戦
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私は今、両国〈国技館〉の辺りや隅田川の川筋を歩くのが好きです。
恐らくあの時の鏡里関の好印象が影響しているのかもしれません。
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2013年1月 両国橋近く
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2013年1月蔵前橋夕景
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by michinobe8 | 2013-05-26 11:55 | 父の撮った写真 | Comments(3)

昭和35年〈1960年〉 美少女

戸棚の一番奥に気になっている箱が一つありました。それが何と50年近くも放ったままです。
箱の中にかの美少女は眠っていたというわけです。
昭和35年。あえて、昭和35年と申します。私は20歳でした。
そして<昭和35年の美少女>は16才。悪戯っぽく微笑んでいます。
我家で丁度遊びに来た彼女の記念写真を撮りました。
それ迄お茶目だった従妹が急に美しくなったと感じました。
それで私は決めました。しばらく写真のモデルになって貰いましょう!
昭和35年〈1960年〉美少女
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女性の友人5人を誘い、何度撮影会をしたかしら??
昭和37年〈1962年〉丸の内で撮影をしたことがありました。
それからしばらくして、新聞に彼女の写真が載っていました。丸の内で私が撮った写真です。
<準ミスエールフランス>に選ばれたという新聞の記事を読んで、とても嬉しくなつたことを覚えています。
昭和37年〈1962年〉丸の内にて
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丸の内にて
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昭和37年〈1962年〉丸の内・・準ミスエールフランスの写真
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その後彼女は、映画に<香山美子>と云う名前でデビューしました。
香山美子さんの趣味・油絵
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by michinobe8 | 2013-05-23 00:00 | 1960年代の写真 | Comments(4)

Come,come,everybody

Come,come,everybody How do you do,and how are you?
Won't you have some candy One and two and three,four,five?
Let's all sing a happy song Sing tra la la la
戦後まもなく〈昭和21年〉<証城寺の狸囃子>曲にのって奇妙な歌がラジオから流れてきました。
平川唯一さんのラジオ講座「英会話の時間」です。
敗戦国などと子供の私たちは考えることもなく歌いました。
でもこのような歌詞だなんて、恥ずかしいことについ最近まで知りませんでした。
数年前でしたか、友人とこの歌の話になりました。
彼女はまことに正確な歌詞で歌ったので驚きました。
私は弟たちと、このような歌い方をしていたのですよ。
Let's all sing a happy song ・・・
→エストルヒンガ ハッピーショー チンタララッタター
言い訳ですけれど、家のラジオは雑音が入ってよく聞こえなかったからかもしれませんね??
昭和34年武蔵小金井
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昭和36年立川
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昭和36年立川
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みんな出て来い来い来い 信楽のたぬき
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by michinobe8 | 2013-05-20 00:29 | 1960年代の写真 | Comments(0)

絵画館前での買い物

絵画館の広場でお店をひろげているおばさん。父は写真を撮りたいと思ったのでしょう。
そして、出来上がった写真がこのようになりました。
この写真は何のコンクールかわかりませんが賞を取ったようでした。
私が幼い時は戦争で、戦後間もなくは世の中が混乱していましたから、おやつのお菓子などは余りありませんでした。
この写真を撮る頃になりますと、かなり世の中も落ち着いてきたようです。
露店でおやつを買ったのはこの時が初めてで、何だか楽しい気持ちになったのを覚えています。
母が衛生上のことをいつも心配していたのですが、父はどうしてもこのような形で写真を撮りたかったに違いないと思います。
私は今になってそのことを思い、笑いが込みあげてくるのです。
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さて、いつの世も子供に人気のある駄菓子屋さん。
1970年代後半私の子供たちがよく行った駄菓子屋さんの店主はお婆さんで<ばあちゃん店>と呼んでいましたっけ。
それから、子供たちが成長して、私はカメラを持って街歩きをするようになりましたが、下町は矢張り駄菓子屋さんが元気がありました。
1970年代後半頃、駄菓子屋さん
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下町の駄菓子屋さん
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近年その駄菓子屋さんも様子が変化してきました。
店の前には<ジューススタンド>や<たばこ販売機>など商売を成り立たせるために苦心しているのでしょうね。
2013年佃島
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by michinobe8 | 2013-05-16 16:08 | 父の撮った写真 | Comments(4)

ガード下の靴磨き

中学生になって〈1953年頃〉私は写真部に入りました。
池袋の街に出て写真を撮るということがあったのでしょうか。
記憶はないのですが、その写真だけが残っています。
池袋駅の西口から東口に抜けるガードが今でも存在しています。
そのガードの西口側の入り口は靴磨きの人たちがずらりと並んで商売をしていました。
ガードの下では傷痍軍人が負傷した姿でアコーディオンを鳴らし、唄を歌っていました。
特に「異国の丘」という唄が耳に残っています。
靴磨きをやっている人は今写真を見ると女性〈おばさん〉が多いですね。
最近この写真を見るまで私は子供が磨いていたような思い込みがありました。
これも、唄のせいかもしれません。
宮城まり子の「ガード下の靴磨き」という唄が流れていたことがありましたから。
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2009年:靴磨きの人達が働いていた同じ場所
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児童労働の禁止はいつ頃からだったでしょう。
私が高校の修学旅行に行ったときに京都の鴨川沿いで<新聞売りをしている子供>の写真を撮っています。
1958年:新聞売りの少年
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by michinobe8 | 2013-05-12 23:03 | 私の撮った1950年 | Comments(2)

ステキなカフェきんもくせい

薔薇の花がお出迎えの階段を上り、ガラス戸を開けると「いらっしゃいませ!」と明るい声が響きます。
カフェ<きんもくせい>の若きマスター海人君です。
煮立った薬缶からネルドリップに注ぎ入れて今日のアイスコーヒーの準備をしているところでした。
コーヒーの香りがただよい、思わず遅めのブランチを注文しました。
”テラスで食べるのも好いわね。ハムエッグサンドと珈琲”
カフェ<きんもくせい>
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ネルドリップ
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メニュー
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カウンターのなか
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友達に借りた本<ミラノの太陽、シチリアの月>内田洋子〈小学館〉を読んでいますと、間もなくブランチがテーブルに置かれました。
早速頂きます。”あらっ!このバターはマーガリンではないわ。口のなかで、素敵な香り広がって幸せな気分!”

マスター・海人君のお父さんは珈琲をたてる事を長年、生業とされていた方です。
”息子さんもその珈琲に魅力を感じてしまったのでしょうね”と一人納得しながら、
本の続きを読んで・・ゆったりした気分の時を楽しみました。
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追伸・・カフェの前は秋になればきんもくせいの香る<千早フラワー公園です。

<カフェきんもくせい>
  〶171-0044 東京都豊島区千早1-6-9
☎ 03-3957-3927
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by michinobe8 | 2013-05-11 22:54 | 平成・デジタルカメラ | Comments(0)

風で飛んだ帽子

風で吹き飛ばされた帽子の写真は弟のアルバムの中にありました。
私はこの写真が印象的に心の中に残っていました。、
弟の話によりますと、1953年銀座松屋の屋上で父は屋上の、そのまた高い所に上りこの写真を撮ったということでした。
母が「あぶない!」と降りて来るまで気をもんだそうです。
「それで、遊園地の飛行機とか乗った?」と聞きましたがそれは記憶にないそうです。
当時デパートの屋上は子供たちが喜びそうな場所でした。
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武蔵小金井にお家がある友達の家に遊びに行った時のことも思い出として強く残っています。
私たちは学校のある池袋近辺に住んでいましたから、
山手線と中央線を乗り継いで行く武蔵小金井はちょっとした旅でした。
小金井はあたりがとても広々していてトウモロコシ畑がありました。
友達のお母さんが「暑いからシュミーズで遊びなさい」と言って下さり、
歓声を上げすぐさまゴム飛びをやったように思います。
その後に食べたトウモロコシは格別美味しく感じました。
おともだち
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小学生だった私も高校生になり、両親が<終の棲家>と建てた家が武蔵小金井で、
私は友達の家の近くに引っ越して同じ高校の同じクラスになるとは
シュミーズ姿の時は思いもよらなかったことです。
1960年ころ武蔵小金井・原っぱで遊ぶこども
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by michinobe8 | 2013-05-09 11:51 | 父の撮った写真 | Comments(6)

時は立夏 日は昼下がり

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好い日和だし、午後から近隣を散歩することにしました。
最寄りの駅である西武新宿線・下井草の駅を超えて荻窪方面に向かって気の向くままに歩きます。
妙正寺川に沿ってを歩きますと川の両岸を紐で渡して取り付けられた鯉のぼりが何匹も泳いでいました。
今日は<こどもの日>であり暦の上では立夏でした。
ところで、井伏鱒二の<荻窪風土記>をかなり以前に読んだ時に非常に印象的に記憶した事柄がありました。
荻窪に住んでいた土地っ子であり鳶の長老だった人の話では関東大震災前には品川の岸壁を出る汽船の汽笛の音が聞こえたというのです。
それが関東大震災後ぱったりと聞こえなくなったということなのでした。
今、妙正寺公園で耳を澄ましますと、チチチと鳴く鳥の声、子供たちの遊ぶ声、それに時々飛行機の飛ぶ音がしていました。
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とまれ!
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私の母の姉家族が以前善福寺の傍に住んでいました。
そしてそのころ小学生だった私は伯母の家に遊びに行くのがとても楽しみでした。
今でも、古い家や垣根を見つけることが出来ると思わず立ち止まってしまうのです。
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垣根
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by michinobe8 | 2013-05-06 14:13 | 平成・デジタルカメラ | Comments(0)

女学生

女学生が<九段3丁目>で都電を待っているこの写真は私が50年ほど前に撮影したものです。
この写真を撮って翌年でしたか・・東京オリンピックが開催されました。
そして、都電は東京から姿を消して行きました。

昨日友人に誘われて九段下の昭和館に中原淳一の展覧会を観に行きました。
生誕100年・没後30周年記念の一環で<中原淳一の生きた戦中・戦後~少女像にこめた夢と憧れ>というものでした。
戦争中に女学生だった従姉たちは戦後、中原淳一の雑誌<ひまわり>を購読し、まだ小学生だった私は大人の本を見るような気持ちで読んだものでした。
会場の展示物を見て行くうちに私は中原淳一が国防色の服を着用している写真に目が止まりました。
静かな顔の写真でしたけれど、戦時下というものはファッションに敏感な人も無理矢理同じ国防色に塗られれてしまったわけですね。
そして、そのそばに当時の貼り紙が展示されていました。
<パーマネントをかけている人は町内に入ることをご遠慮ねがいます>

ところで、父が1950年代に銀座で撮った写真があります。
戦時下、もんぺ姿で過ごした女学生たち・・
彼女たちが少しゆとりが出てきたこの頃に<銀ブラ>をしている姿です。
なんて楽しそうなんでしょうね。
九段上・今から50年ほど前
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中原淳一展・九段下
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銀ブラをする女性たち<1950年代>
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by michinobe8 | 2013-05-03 11:18 | 1960年代の写真 | Comments(4)