あの町 この道

michinobe8.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:私の撮った1950年( 3 )

武蔵国分寺跡にて

e0323465_17444425.jpg
e0323465_17452256.jpg
武蔵国分寺跡は国分寺駅からバスで行くことが出来ます。
とに角、武蔵国分寺の山門に立ってみますと私は、50年以上前に友人と訪れた時の事を思い浮かべるのです。
女の子たちが夏休みを楽しんでいるかのような姿。素朴な国分寺の風景でした。
「天平13年(741)聖武天皇が仏教の力で国を安定させるために諸国に国分寺の建立を命じた」
という歴史的な事柄は、今現在になって自分の僅か50年の軌跡の先に
遥か昔の人々の生活を思う気持ちが湧いてくるようで・・興味深いことでした。
e0323465_17463859.jpg

武蔵国分寺は湧き水豊富な国分寺崖線を背にして、都と国府を結ぶ駅路(東山道武蔵路)近くに配したそうです。
湧き水は今<お鷹の道>という名の散歩道であり、この水路は野川に流れ出ているということです。
その後、多摩川に流れ着くと云う訳なのです。
e0323465_17473798.jpg
e0323465_17484107.jpg

[PR]
by michinobe8 | 2017-09-02 17:50 | 私の撮った1950年 | Comments(2)

ガード下の靴磨き

中学生になって〈1953年頃〉私は写真部に入りました。
池袋の街に出て写真を撮るということがあったのでしょうか。
記憶はないのですが、その写真だけが残っています。
池袋駅の西口から東口に抜けるガードが今でも存在しています。
そのガードの西口側の入り口は靴磨きの人たちがずらりと並んで商売をしていました。
ガードの下では傷痍軍人が負傷した姿でアコーディオンを鳴らし、唄を歌っていました。
特に「異国の丘」という唄が耳に残っています。
靴磨きをやっている人は今写真を見ると女性〈おばさん〉が多いですね。
最近この写真を見るまで私は子供が磨いていたような思い込みがありました。
これも、唄のせいかもしれません。
宮城まり子の「ガード下の靴磨き」という唄が流れていたことがありましたから。
e0323465_22541346.jpg

2009年:靴磨きの人達が働いていた同じ場所
e0323465_2258773.jpg

児童労働の禁止はいつ頃からだったでしょう。
私が高校の修学旅行に行ったときに京都の鴨川沿いで<新聞売りをしている子供>の写真を撮っています。
1958年:新聞売りの少年
e0323465_2315864.jpg

[PR]
by michinobe8 | 2013-05-12 23:03 | 私の撮った1950年 | Comments(2)

働き着・時代様々

私が小学5,6年のころかと思いますが〈1950年代)家にあるリコーフレックスという二眼レフのカメラで遊び半分に写真を撮ったことがありました。
その中の一枚がモノクロのおばあちゃんの写真です。

私の祖母はすでに他界していましたが、叔父の家で働いていた人が、やさしくて大好きでした。
雑巾がけをしているおばあちゃんに「写真を撮りま~す」とカメラを構えましたら、居住まいを正してニッコリしました。
今この写真を見て改めて驚くのは<働く人のファッション>として完璧ですね。
髪に姉さん被りの手拭いではなくタオルのようですが・・着物にもんぺ・・割烹着の上に前掛けをしています。
今現在の自分の姿を考えますと反省する余地が沢山ありますね〈笑〉

先日孫の絵本を何気なく見ました。
<こどものとも>の絵本;《くわずにょうぼう》稲田和子・再話 赤羽末吉・画  です。
めしはくわないのによくはたらく女房が実は鬼婆だったという怖い話なのですけれど、
赤羽末吉さんの画く、若いくわずにょうぼうの姿は非常に魅力的です。
着物も素晴らしい働き着です。
かつての働く女性のファッションはその時の苦労と共に力強さも感じてきます。
e0323465_11583245.jpg

1960年代 新宿にて
e0323465_121536.jpg

1990年代 出雲崎にて
e0323465_1234222.jpg

[PR]
by michinobe8 | 2013-04-19 14:30 | 私の撮った1950年 | Comments(0)